M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

”ジャッジをやめる”ということ

久しぶりに、「あいたたたたたt」となりました。ある方のBlogを読んでいて。

学び仲間さんにご紹介頂いた、自伝などなどがめちゃくちゃにおもしろくて深くて素晴らしい・・・ ミユさん。(たまたまですが、私も「みゆさん」^^)

 
以下引用。

あなたがもし、
ジャッジを手放して楽になって欲しい、と
誰に対しても思うなら、
それはすでにジャッジだということです。

ジャッジのない、気楽で冴え渡った感覚を薦める自分と、 
他者に対してその必要性を感じない自分は、
ちゃんと同居できます。

それらは矛盾しているようで、していないのです。

ameblo.jp

 

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何にあたた!、となったかと言うと。

わたしの体癖講座は、関西の体癖カフェでも、岡山の体癖講座でも、福岡の単発講座だったり名越先生の合宿プレ講座だったり、どこでも、

<体癖論そのもの>についてももちろんお伝えするのですが、<体癖論をどう生かすか>,<体癖論とどう楽しく生きるか>の方に、かなり、重きを置いてます。

なぜか?

人の心、それも無意識的な癖を扱う体癖論という領域は、
「おもしろい」し「楽になる」し「楽しくなる」し、
例えば「あたる」とも言えるし「びっくり」するし「すごい」ので(いやほんとうに)、

つまりそれは簡単に、「毒にもなる」と思うからです。

「あの人は〇種だから(怒)」
「ほんと〇種ってやーね(呪)」
「なんでわたし、〇種なんだろ。。(涙)」

決して全国の体癖学徒皆々様をそんなふうな人だとののしりたいという意図ではなくて、あまりにも体癖論という秘伝・哲学が凄まじいので、そしてわたし自身の小ささから、その刃を振り回して他でもない自分自身の9種性を呪ったりして^^;体癖論との付き合い方に疑問をもった経験が誰よりもあるから、その反省からつい、そこに目がいくのかもしれません。


さて、そんな私がここ2,3ヵ月、人の心について特にあれこれ思いを巡らせていたのが、「ジャッジ(価値判断)すること」について。とあるセミナーに参加中に、

人間とはどうも、毎瞬毎瞬、「ジャッジ」し続けている。
 良い とか 悪い とか。 正しい とか 正しくない とか。
対人関係はもちろん、世界の全てに対して「価値」を「判断」している。セミナー中これを嫌というほど体験して、じっと観察して、そのジャッジの量と影響力の大きさに、びっくりしたんですね。。

そして、その現象にあまりに圧倒されたわたくし(←注※体癖バカ)、そんな刺激的なセミナー受講中でさえも、「ああ~、でもこれ、体癖論を通して世界を見ると、”ジャッジ”をかなり、手放せてるな~~♪」と、ひとり体癖の学びに気付きがあったんです(笑)。


例えば仕事で何かトラブルが起きたとしても、
 1種体癖さんは「公平さ」から分析を始めるし
 3種体癖さんは「感情」といつも居て
 8種体癖さんは「負けまい」と静かに闘う云々…

ただその身体欲求から、”ある”。”起きて”いる。
そこに何の「良い/悪い」も、無い。


うーん、あらためて、力づけられる。これほんまに奥深い話なので、詳細はまたどこかの講座でたっぷり話すとしまして(笑)、一方、このことばっかり考えていた数ヵ月。。そこは過剰さが過ぎるながおかさん(9種)、どうも、

 

「ジャッジをするのは、ダメなんだ!!!!!」

に、偏りが生じてきていたようです('ω')。。。


 「ほんまもー、ジャッジばっかしてるからあかんねや!(怒)」
 「はよそのジャッジ、手放しなはれ!体癖勉強しるーー!( `ー´)ノ」

 

・・・。

 

これ・・・。ジャッジだな。。。

 

 

_| ̄|○

 

 

あはは(笑)

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最近、なんかイライラしてるかもーと思ったら、自家発電してたんですね~。
反省!

やっぱりシンプルに、体癖論を 楽しく!いきいき!学ぶ。
そうなっていないとき、人は何かに過剰に偏ったり、自分や人を責めてたりするのかも。まーそれも別に、何も悪くないのですけど('ω')

シーソーの真ん中に、いつも戻ろう^^


ミユさんのブログ、ぜひ!^^