M.nagaoka’s notes

~ よく生き、よく歌う ~

心地良いサイズ感

このブログ書いてはっきりした。

www.m-nagaoka.net

そうか、この2年ちょっと、ひたすら「手の届くサイズで」・「1人でやる」を徹底してやりまくってるんだなーってこと。

 

で、ちょっと今後の講座展開に悶々としてるのでこれまでの仕事のふり返りをしたくなった。

自分で言うのも何ですけど、(って、自分で言うけどw)、わたし会社員時代はそーとー、ある意味でデキる社会人だったと思うんですよね笑。「会社人」って言うとけなしてるみたいだけど。企業戦士としてはどこまでもよく働く、良いメンバーだったと思う。上司からは長岡に任せるなら大丈夫、って言ってもらえて(後輩は近寄り難かっただろうな…スマン)、期待に応えるとか応えないとかの次元じゃなく、とんでもない圧倒的主体性と責任感で、仕事に誇りもってやってた・・・と思う。

今思えばありえないことだけど、社会人2年目でノーベル賞受賞した先生をお呼びして700名規模のイベントをマネージャとしてまわしてたり。(もちろん諸先輩方の助けなしにはできなかったこと。今は亡き大先輩Sさん、あの頃学んだこと、身体にしみついてます。。。^^)
社会人3年目で、子ども達から募った「夢」をクライアントの大学さんと一緒に実現させる一大PJをゼロからやり遂げたときは、もう灰になって良いとまで思った。
その他、大きなお金、大きな責任の伴う仕事を20代前半で体験しまくって、そして働いて働いて働いて働いて、燃え尽きて、最初の会社を辞めた。
今思えば、この身に余る、また自分の手が決して行き届かない、何かを切り捨てざるを得なかった「サイズ感の大きさ」は、やりがいの大きさと同時に、私にはとても苦しいことでもあった。

転職して、今度はあまりに自分にできる範囲の小ささに愕然として(分業制、個人の責任を徹底排除する仕事文化だったので)、全てを失ったような気分になった。(それがこの頃→名越心理学はじめ - ①出会い - M.nagaoka’s notes
自分から望んだこのなのに…と酷い葛藤を持ちながら、僅か8か月で大学職員を辞め、元いたベネッセ畑に再転職することに。
今思えば、この時期の「自分の手で実感持って仕事ができないことの、底抜けの失望感」は凄まじいものだった。ほとんど記憶が無いくらい、何もできない日々は辛かった。やっぱり、「自分で何かをクリエイトする」ことは私には必要だったんだな。

 

最後の会社、ベネッセ高校部時代もあれこれよく悩んだなー。とくに営業時代。自分なんかよりはるかにデキる先輩方。全くもって「営業活動」に馴染めない自分。

あ、そうだ。転機になったのは初年度担当してた、とある高校さんとのことだったな。正課外でいかに子ども達の基礎学力の底上げをはかるか、クライアントの進路部長先生と延々話し合って、一緒に朝学習のプログラムを立ち上げた。
外部の一業者の営業担当としてはすっかり踏み込みすぎるほど踏み込んで、子ども達の通学圏・朝の電車事情、内部の先生方の心理的負担・作業負担、カリキュラムの検討、その後の検証、、、あれこれ検討して、朝学習が進みだしたときは、進路部長先生と手をとりあって喜びを共有した。(…先生、ご退職後どうされてるかなぁ。)
この時強く強く思った。規模なんかどうでもいい。私が、私らしく、こまやかに気を配れて、目の前の人やその先にいる人が少しでも前を向けるお手伝いがしたい。

このあと、自分なりの営業スタンスがはっきりしてからは、(他人から見たら異常なほど手をかけまくる営業スタイルだったけど)がむしゃらに動いて、お客さんと話して、子どもたちの「その先」を見続けて、結果的に営業数字はとんでもなくついてきた。

f:id:mnagaoka:20190504123407j:plain

部屋から大きな青空が見える幸せ。

あー、そうか、そうだった。
書きながら、思い出してきた。
元々わたし、規模とかどうでも良い人だった(笑)

 

・・・実はどこかで、どんどん体癖講座が大きくなっていくことに恐怖があって。

一方で、新しい参加者さんの数は時期によって大きく波がある。
ここ2ヶ月くらいは、日によっては数名開催のことも増えている。

今度は大きくしないと続かないっていう縛り。

・・・本当にそう?

 

そんなことより、外側より、目の前の参加者さんたちの「今」を見よう。
まだ見ぬ講座仲間さん達の「その先」を見よう。
そのための講座を考えよう。

続けられなくなったら、というか、自分らしくなくなったら、その時はやめよう。


規模は、私らしい活動であれば、何でもいいんだった(笑)

自分が納得する。自分が「誰」としてそこに立つか?それだけだなー!