尊敬する山田ズーニーさんの、ほぼ日での連載「大人の小論文教室。」
読みごたえたっぷり、楽しみにしている読み物のひとつ。(ズーニーさんも元ベネッセ、大先輩^^)
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「いちばん伝えたいことを、 伝えたい人に、伝えて、伝わって、 それで後悔している人を見たことがあるだろうか?」
これ…!すっごいタイムリー!(*‘ω‘ *)
昨日いや間違えた一昨日、ものすごく久しぶりに、人と喧嘩?をした。
長年の付き合いのある気心知れた友人と、近況報告の他愛ない会話で。「私の大事にしてきたこと(相手もそれを知っている)」を軽く、ぞんざいに扱われた気がして、むっとした。
だけどここで、良くも悪くも、色んな理論だの学びだのが、脳に浮かぶんですよねー。
相手の感覚を100%知ることはできない、とか、
相手と自分が同じ事実を見ているわけじゃない、とか、
それって投影じゃね?、とかとかとか。
一度は黙って流そうと思ったんですよ。私の問題だなーと。(←それは間違い無い。)でも、「むっ」とした体の感覚だけは喉や胸のあたりに残ってる。ぐーるぐーる。むー。
これはいかん!理屈どーでもえーわ!と思い直して、「さっきのあれ、腹立った!」と言ってみた(笑)
そしたら、そんなつもりでは無いこと、そう表現した理由を言ってくれたことと、付け加えて「今度からはその時に言って欲しいなー」とも。一瞬お互いもやっとしつつ、5分ほどの会話でスッキリー!
「その時に言う。」はい、その通りです(笑)
ちゃんとそのことは謝って、今度からその時に腹立つって言うわーー!!と笑って、終了^^
いくら心のことを学んでも、むしろそのことを盾にして、つい「感情を押し殺すこと」で楽をしようとしてしまう側面が無いか?
これは私の悪い癖。だって争うのは面倒だし、とにかく、つまり、傷つくのが怖いのだ。。
で、我慢してるなーって気づいたら、どんどん自分を観察するモードになってきて。
そしたらなんと、食べる順番を相手に合わせてたり、これ残したら悪いな…どう思われるかな…とかばっかり考えてることに気づいたんですね。「おお、めっちゃ、過剰適応なってるーーー!」てね。これぞ私の悪いパターン。(人は恐ろしい程にパターンにハマるんですってよ…。)
フラットに観察して、自分がよくないモードになってるなーと気づけた時だけ、そこを抜けて新しい選択ができる。かも。
でも、言い争ってできる擦り傷・切り傷より、
もっと深いのは「溝」。人と人の溝は、
目には見えない心の中に、沈黙のうちに、できていく。
先の件はささいなシーンかもしれないけれど、
思ったことを言ったことで、お互い「溝」にはならなかった。そうならないという「信頼」があったからかもしれない。それに少し、勇気はいった。
今までどれだけ沢山、言うのが怖くて、勝手に溜めて我慢して、
どれだけ自分に「痛み」と、相手との間に「溝」を作って来ただろ…。
気づきって面白いですねー!
実体験と言葉とのシンクロが起こると、ぐっと深い気づきになる!覚書。