M.nagaoka’s notes

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体癖とわたし⑤(完) - 伝える立場に立って

ほとんど文字にしてこなかった、体癖論のことを書く「体癖とわたし」シリーズ最終回。

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今回、このシリーズを書いてみて(そしてその濃厚凝縮版として8/4,10の体癖カフェ対話編「体癖との付き合い方」で自分自身と体癖論との付き合い方を振り返ってみて)、自分に節目をつける意味で、とても良かった^^

 

シリーズの最後に、対面の講座ではわざわざ言わなかったけれど私にとって大きかった「体癖論を伝える立場」に立ったことについて書いて、終わろうかなと思う。

 

どんな学びや技術もそうだと思うけれど、「伝え手」の立場に立つと、しかもそれでお金を頂くとなると、インプットの質量とも桁違いに多く深く速く濃く(笑)なる。アウトプットを前提にしたインプットは、自分の体内の入り込み方が違うと、あらためて実感。あと、体癖論は日々の人間観察がそのまま講座に生きてくるので、アンテナの立て方(何を受け取るのか?)にも気を配って、そのアンテナでキャッチしたことごとから気づいたことがあればノートに書き留める日々だった。
そういったインプット結果や日々の気づきから、「何」を「どの角度」から「どんな風に」伝えれば、受講生さんの血肉になるだろうか…と、伝えるということに関する探求の繰り返しだった。

ただの「学び手」や、嫌な言い方だけど「消費者」としての態度だとどうしてもどこかが抜け落ちる「全体性」「網羅性」「客観性」「深度」「バランス」色んなことを、桁違いのスピードでアップグレードしていった気がする。

 

恐ろしいことに、定例講座・体癖カフェは毎月やってくるので(当たり前。笑)、それはもう常に自転車操業のようだったけれど、分かっててやっていたので、毎月「自分自身が受講生なら、一番ききたいこと」を先にテーマに決め(←これ大事)、告知も始めてしまって、それから急ピッチで足りない部分のインプットと講座デザインとを両輪で組み上げていった感じ。
最初の1年くらいは、テーマに関係しそうな野口先生の本や名越先生のメルマガ・DVDを必死に見返して知識面を補強していった(その中での学び直しもものすごくたくさんあった!)けれど、ある時点でふと、あぁ、これはもう何かが足りないのではなくて、既にあるものを深めて、「どう表現するか?」だなぁと思うに至った。ここに至るまでが本当に、長かった!
けれど、この試行錯誤が、シリーズ①~④で書いたような「体癖とわたし」の色々を一段と豊かにしてくれたことは、間違いないこと。体癖カフェを通じた毎月のチャレンジ、続けてきて本当に良かった。

十分なものを持っていなくっちゃ、受講生さん達に申し訳が立たない、期待に応えねば…!と小さく小さくなって、ビビりながらのスタートだったけれど(笑)、思えば今では、他の講座より体癖講座の前が一番リラックスしているほど。
体癖論がこうしてようやく、血肉化したんだなぁと、定例講座の場所を手放してみて、ようやく思えた。

 

* 

 

そうした一般論としての「伝える立場」に立つメリットはもちろんたっぷりあるし、それから、体癖論独特なことかなぁと思う、講座での色んなこと。

例えば、体癖論そのものと個人の価値判断とを丁寧に腑分けすること、誰かを悪者や犯人に仕立て上げないこと、絶対論ではなく相対論として扱うこと、現象とは何かを問い続けること、身体実感とどうつなげるか・言語領域との行き来の可能性を模索し続けること…などなどなど!

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心理学・体癖論は、はっきりいって「平易」ではない。
基礎知識と呼ばれるものが正直結構多いし、
体癖診断は、最後は自分の確信しか無いのだけれど、それ自体がどこまで行っても信頼に足るとも足らないとも言いきれず、歯がゆい。
レクチャーする私が横についていると、皆さん比較的すらすら診断して行かれているので、私のその(横にいて診断をサポートする)技術はものすごく磨かれてはいるから頼ってもらってよいのだけれど、それ自体、「100%」は無い。歯がゆい。

 

でもそれが、本来の「人間」を扱うということかもしれない。

 

あまりに深遠で、人間の本質をソリッドに扱い、
歯がゆさと、誤解されやすさ、デリケートさを内包しているからこそ、
それも含めて、「心理学・体癖論」は出会ってしまった多くの人を深い所で魅了するんだろうな、と、長年体癖論と付き合ってみて思う。

体癖カフェは閉じますが、(※岡山と大阪長居のお呼ばれ定例講座は細々と継続中^^)、わたし個人の「自由研究」は、死ぬまで続くんだろうなー!

 

振り返れて良かった!
ここまで読んでくださって、ありがとうございました♪