M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

宮崎先生にからだの話、聞いてみた!③

宮崎先生との対談イベント、つどい場・心カフェ♪「宮崎先生に”からだの話”聞いてみよう!」、書き起こし連載第3回(最終回)!

 

*第1回 - 体、身体、「からだ」の使い分け

*第2回 - ”「からだ」を感じる”を、育む。

 

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第3回は…

玉突き、ストレス、癖、年のせい。

 



会場の方(以下、会)「先ほどの、感じる、というお話。例えばごはんの味を…ってことですけど、自分のことを思うと、つい悪いことというか、『またこんなことをしてしまった』とか、『だからまた疲れてきたな』とか、そんなことを感じてるなと思ったんですよね。そうすると、そこをまず変えていかないといけない、ということですか?」

 

(*今回はここから)

 

宮崎先生(以下、宮)「えっとね、まあ、その通りはその通りなんですけど、人間の体って、良い方向にも悪い方向にも…まぁ良い悪いって人間が決めてるんですけど、その両方のことが絶えず起こっているわけですよね。だから、『楽になってきた』ばかりに注目していると、『悪くなっている所』が見えなくなったりする。だから、『今、悪くなってるけど、ここは大丈夫やな。ここは、マシになって来たな。』っていうのを、感じ分けれるようになる、っていうんかな。自分の体を一色に塗り込めて、良い・悪い、とかするんじゃなくてね。そういうのが感じ分けられるようになると、さらに調整が効くようになるって言うんかな。」

長岡(以下、長)「私個人的な感覚で言うと、なんか…原因と結果が、”コレ”と”コレ”!!みたいな、例えばこのお腹が痛いのは、アレを食べたからだ!みたいな、そういう直線的な捉え方だったのが、それを見る角度っていうのかな、切り取り方がちょっと変わった、みたいな感じがあって。いや直線的なことももちろんあるんですけど、自分の”「からだ」”を感じる、っていうのをやればやるほど、直線的でない、もっと繋がりみたいな、生活の中の色んなことがその時そう配置されたから、ひとつの現象としてその炎症が起こってる…みたいな。ぐるぐるのどのあたりから、別のもの、例えば体操をして動かすみたいなことを差し込むと、どんな風に違う回り方をするのかな?と試してみる…みたいな捉え方になりました。その見方が変わったことが大きいです。」

「うん。」

「だから結果として、頭痛が治ったというより、頭痛が”起きなくなっている”んだなって…。そんな感覚を感じています。」

「そうですね、良い線行ってると思います。」

「良い線行ってるらしいです(笑)」

「笑。正しいか正しく無いかじゃなくてね。僕の感じと近いっていう感じです(笑)」

「笑。」

「僕が思っているのが、”原因”っていうのがあって、真っすぐに”結果”に繋がっているんじゃなくて、この間に、玉突きがいっぱい起こってるわけですよ。」

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「ああ。」

「ね。で、この”結果”が出た玉突きは、さらに玉突きが進んでいくわけです。で、この右端の玉突きがぐるぐるっと戻って、左端の玉突きになる。」

「うん。」

「イメージ湧きます?だから原因と結果は、永遠に繰り返してぐるぐるっと回って、たまたまそこのラインで切ってるから、そこが原因に見えてるだけなんですよね。で、結果に自分の焦点が集まってるから、それが結果やと思ってるだけなんですよね。」

「うんうん。」

「だから、まあ、良い悪いっていうのが一応あるから、この悪いと思ってるところ(結果)をなんとかしたいって思ったら、ぐるぐるまわっている全体を見ながら、あ、ここに玉突きの玉が集まってこないようにせなあかんな、っていうことをやらなあかんわけですよね。で、例えば結果の所に痛みがあったとしたら、その玉突きは実際、一つだけじゃないわけですよね。色んなぐるぐるが重なって、玉突きが集まって、痛みが発生してるんですよね。だからそれを一個ずつ止めていく、みたいなイメージです。そうすると、そこに痛みが発生しなくなるよ、ってことです。僕の考えはね。」

*宮崎先生の「ぐるぐる」に関するお話はこちら→宮崎先生×長岡、プレ対談。

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「うん。」

「だから、原因と結果、って考えてしまうと、原因をやっつけたらおしまいじゃん、ってなりがちですけども、それ一つとは限らなくて。その玉突きが止まったと思っていても、またぐるぐる回って、別の所から玉突きが起こると、また痛みが発生したりするわけですよね。そういう風に、プラマイゼロ、じゃない。さっき言ってたように、良い所もあれば悪くなってる部分もあるよっていうのは、そういうことなんですよね。ある部分は悪くなってるかもしれないけど、別の部分は逆回転を始めて良くなってる、っていうこともあるわけですよね。そういうのを感じ分けてって欲しいなってことですね。」

「まあ、自分の見方の癖って誰でもあると思うので、いきなりは難しくても、そこを違う方向から、こういう風にも見れるよ、感じれるよって、問診の中とか施術の時に、それを教えてもらっているっていう感じがします。」

「なるほど・・・。ありがとうございます。」

「あ、また僕からも良いですか?よくテレビとかで、腰痛がテーマになったりするじゃないですか。」

「はい。」

「で、そこでも体操がどうとかこうとか、取り上げられたりしてると思うんですけど、最近はなんか、腰痛の原因、痛みの原因はストレスですよ、みたいなことを聞くことって、多いじゃないですか。」

「多いですね(笑)」

「…何言うてんねんと(笑) あんたの気持ちの問題や、みたな感じで言い放たれた、みたいなね。先生が『ストレスも原因の一つですね。』『うんうん、そうですか。」って感じで終わってしまって。」

「うんうん。」

「ストレスって何やねん、みたいなね。じゃあ俺のストレスはどこから来てるんや、みたいな、全然誰も説明してくれないですよね。」

「うんうん。」

「それで終わっちゃってる、という感じがあって、全然腑に落ちないっていうんかな。」

「うん。」

「腑に落ちたいんですよ。」

「うんうん。」

「鍼灸師さんの所とかも行くんですよ、行って楽になるんですけど、腑に落ちてないって言うんかな。これごっつええわ!来た!!…みたいな感じでは無い。ちょっとましかな、みたいな。でもまた痛みが出てくるな、みたいな感じが続いてるんですよね。マッサージとかも、その時は良いかもしれないんですけど。分からないんですよね、ネジがゆるんでました、というのが理由なら、しめたら治るじゃないですか。でも、全然痛くない時もあれば、めっちゃ痛い時もある。…それもストレスなんかな?っていう感じがしてね。結局、西洋も東洋も、全然わからんわ、って思って(笑) 」

「あはは(笑)うんうん。」

「東洋医学の方がええんかな、と思ってたら、東洋医学の人もそんなこと(ストレスが原因というようなこと)言い出してるし。ちょっと、どうなの?みたいなところがあって、今日来させてもらいました。」

「うんうん。」

「なるほどね。ストレスっていう言葉は、すっごい使い勝手の良い言葉で。」

「うん、便利(笑)」

「最後に『ストレスです』って言っとけば、あらゆることが説明できる(笑)」

「そうそう(笑)」

「『年齢のせいです』と並んで、この2つはほんまに、切り札のような言葉になってますよね。」

(会場、笑い)

「でも、だからと言って、全部ストレスのせい、年のせいにして良いかって言うと、そういうわけじゃなくって、やっぱりそこは、”「からだ」”に戻ってくるところだと思うんですよね。ストレスって言うのは、自分の”「からだ」”を探検することで、『あっこれがストレスや!』って分かった時に初めて、ストレスになる。年のせいもそうですよね。自分の体の衰えみたいなものを、自分の”「からだ」”の中に見つけてきた時に初めて、年のせいなわけですよね。他所に言われたことで、ストレスのせい・年のせいになるわけじゃないんですよね。だから、本当言うと、『ストレスとちゃいますか?ちょっと自分の心あたり、探してみてください。』っていう言葉があるのが、僕は正確なんじゃないかなぁと思いますよね。」

「ああ。」

「それで、腰痛全般の話で言うと、最近はほんと、腰痛をストレスと繋げて考えるのがすごい流行ってます。」

「うん、流行ってますね。」

「めちゃくちゃ流行ってます。でも、そういう考え方自体は昔からあって、今に始まった話じゃないんですよ。東洋医学の世界でも、ストレスから来る腰痛みたいなものは分類されてるんですね。で、日々の実感から言うと、純粋にストレス100%でなってる腰痛も無いし、純粋に、単に重たいもの持って疲れてるからなってる腰痛、みたいなものも多くないし。たいがい、さっき言った”ぐるぐる”が、幾つか、3つ4つ合わさって、なってるわけですなんですよね。」

「うん。」

「で、その時の流行りによって、何がクローズアップされるかが変わって来ている、っていう状況なんちゃうかな、と思いますね。実際にそれをじゃあどうやって治して行こうか?ってなった時に、この”ぐるぐる”がいくつかあるんだな、ということをある程度想定しておいて、それを自分の中で探しておいて、『確かにこの部分はストレスだな』とか、『でも、それ以外は影響受けてないじゃん』みたいなことが、分かってくるわけです。そうすると、自分の”「からだ」”で納得するんですね。…質問にお答えしたことになりますかね?」

「うん。具体的にね、自分の”ぐるぐる”があるっていうことが見つかってないから、まだ全然腑には落ちてないんですけど、まあ理屈的には分かるんですけど。じゃあそしたら、実際診てもらって、そっから始まるんでしょうけど。今まで、わりと鍼や整体とかも良いなあって、東洋医学も受け入れてた方だとは思ってるんですけど、かと言って、すっぱり、ということも無かった気がしてて。」

「うん、そうやと思いますね。僕もそれはありますね。」

「私もどこ行ってもそうでしたね~。」

「そのへんでね、あのーまあ、ブラックジャックみたいな人はいないのかと、思ってるわけです(笑)」

(会場、笑い)

「あの人はすごいらしいで、みたいな、色々聞くじゃないですか。そういう都市伝説的なことは聞いたりするんやけどね。気合い入れて、お金沢山持っていかなあかんのかな、とかね(笑)」

「あはは(笑)」

「あはははは!お包みせねばと(笑)」

「今お話されている、東洋医学とか、腰痛の話はやっぱり、一般論的な”体”の話をしてるんですよね。だからやっぱり、自分の”「からだ」”の話に持っていきたいなと。で、別に僕にかからなくても、自分でされたら良いと思うんですよね、納得するために。まず、どんな腰痛なのか?チクチクするのか、どよーんとするのか、ズキズキする腰痛なのか。それから、時間帯によってどんな風に変わるのか。」

「あぁ、いつ起こってるのか。」

「ね、いつ起こってるのか。何をやった時に酷くなって、何をやった時にましになるんだろうか。そういうのを、きっちり観察することです。」

「観察。」

「そうすると、自分の中で分かってくると思うんです。じゃあ、それに対して、具体的に、こうならないためには、どうしたら良いんやろうな?って、考えて行けば良いわけです。それをコツコツやれば、僕がやらなくても、自分でできるし、自分でやってもらったら良いと思う。そうするともう少し、納得ができるんじゃないかなと。なんせ、”体”の方には、都市伝説みたいなものもいっぱい入ってるわけです(笑)。そうすると迷いがいっぱい生じちゃうわけで。そのために、いっぺん自分の”「からだ」”の方を感じてみようよ、っていうのが僕の提案ですね。本当に良い質問だと思います。」

「・・・いやぁ…。まぁ…とにかく・・・痛い・・・ですよね(笑)」

「うん。…痛いんです(笑)」

「ね。都市伝説…いや私もね、頭痛が酷すぎたから、、、変な話、除霊とかもしてもらったことありますよ(笑)」

(会場、爆笑)

「初めて聞いた!(笑) へ~(笑)」

「笑。ありとあらゆること、やりましたよ。漢方薬は今も使うし、整体も行ったしマッサージも行ったし、病院もいくつか行きました。で、あのー、除霊とかもね…微妙に効くんですよ、これがまた(笑)」

「へー。」

「いや知りませんよ、プラシーボなのかとか(笑)他の都市伝説な先生方など、宮崎先生以外の皆々様を決して否定するわけじゃなくて、どれもこれも、微妙には効くんですよ。でも、また、なるんです。最初に話したような、『どこから来てんこの頭痛!』と、外に何か悪者がいて、えいやえいやと攻撃されているような感じで考えてた時は。自分の”「からだ」”なんて、感じれてなかったですよね…。

「うんうん。」

「自分で自分の頭痛を扱う。それを、決める。この痛みは、自分のものなんだと。『痛みさん、どこから来ましたのん?』って、今は”「からだ」”と喋ってるんです(笑)」

「あはは(笑) まあそうですね。僕も、自分の体に関しては、まだまだ分かってないことがあるなっていう感じがあって。日々、付き合っていくうちに、『あ、こんなところがあったんだ』って発見があるわけです。」

「そう、全部全部は分からない、分かってないっていうのがまた、面白い。心と呼ばれているものも本当にそうだな。」

「うん。でまあ、その分かってないところを、”探検”しているっていう風に、僕は楽しんでるって言うんかな。だからその探検を、患者さんと一緒にやると、よりまあ、楽しい(笑) そんな鍼灸院っていう感じなんですよね。」

「あ、ちょっといいですか?あの、例えば楽器をやってて、手が痛いとかありますよね。で、自分の中ではもう原因が分かってて、結果こうなったっていうのがあって。それも、さらに”「からだ」”に解きほぐして循環していけるものですか?」

「うーん、その楽器のせい、っていうのが、どの程度なのかっていうのにもよると思うんですけどね。ほんとにもう、朝から晩までずっと、ほんとにそれにへばりついてたら・・・」

「あぁ、そんなんじゃなくって(笑)」

「そっか(笑) でも、体についてる癖から来てる疲れ感って、あると思うんですよね。そういうのは、楽器の弾き方とか、楽器に対する距離の取り方とか、考え方みたいのを変えていくことによって、解消していく可能性は結構あると思いますね。」

「あぁ。じゃあ原因は、結構思い込みの部分がある?」

「思い込みっていうか、癖なんですよね。」

「同じ楽器を持って、同じ練習量をやっても、痛くならない人もいるわけですもんね。あと、痛くならない時もあったと思うんですよね。そこが何なのか?っていう・・・」

「そういうことですね。だから、楽器のちょっとした持ち方とか、椅子の置き方とかね、まあもしかしたら、譜面台の位置とかも関係してるかもしれないね。そういう微調整を自分の中でちゃんと繰り返すことですね。で、どう”「からだ」”が変化していくかを確認することです。そうすると、『あ、こういうことをしているとしんどいんだ』っていうのが分かってきて、だんだんだんだん、解決に近づいてくる。基本的には、さっきと同じ話ですよね。ぐるぐるをやっていく。そのために何が必要かっていうと、自分の”「からだ」”を確認していくことですよね。」

「まぁ癖なんでね、長年の。無意識で自覚が無いものだと思うんですよね。楽器って、ほんとにそうなりやすい。『よし、今日はこの角度でギターを持とう!』とかって、やらないじゃないですか(笑)。そこにやっぱり、何かが起こってるんだろうなって。楽器を持つ、っていうことは、ぐるぐるが何かスタートしているのは間違い無いと思うんで…。」

「うん。癖って言うのは、大きな課題ですね。僕が治療やっててもね、そう思います。一度ついた癖って、なかなか抜けにくいんで。当たり前になってしまってるんですよね。だから、気が付いたらそっちに戻ってしまってるんですよね。」

「ほんとうに。」

「だからいかに、『あ、これ、しんどいねんな』って自分で気づいて止めていく行くかっていうのは、やっぱりちょっと根気のいる作業にはなります。」

「あのー、、、ちなみに、先生は自力でやるっていうことを本当に大事にされていますし、本質的なことなんで、こうして”自分で”、ということを強調してくださってはいるんですけど、いち患者として言うと、一人で、全部全部全部、全てのことをやるっていうのは、ちょっと…大変…かな…って思うので(笑)、見守って伴走してくれる人がいるんだったら、いた方がそりゃ絶対良いですよ(笑) 心とか体とか、”自分”に関するあらゆることがそうですよね。全てのことを自分で、っていうのは大事なんですけど、『一緒に遊ぼう!』って言ってくれてる人が近くにいるのは、私はすごくすごく、有難いことだなと(笑)」

「あはは(笑) そうやね、自分1人で観察して、やって、もう1回投げかけて、っていう風にやることもできるんですけど、やっぱり、他の人とやる方が、楽って言うのかな。簡単って言うのかな。なんせ、1人だと、自分の体と比べるものが無いからね。」

「それに、そもそも自分を後ろからは見られないように、全部って、見えないんですよね。必ず盲点みたいなものがある。」

「そうやね、自分の当たり前の中に閉じていってしまいやすいですよね。だから、他の人とやってると、『あれ、あなたこうじゃん』『私はこう。なんでこんなに違うの?』っていう感じがまず、見えるわけですよね。そうするとやりやすくなる。」

「なるほど。」

「他の方、そろそろ時間が少なくなってきましたが、質問など、ありますか?」

「質問ではないんですけど、やっぱり、1日にしてならずと言うか…やっぱり継続みたいなことが大事なんやなと思いました。」

「まあ、一発で治るやつは、言うたら”身体”の方、西洋医学的なことで治してくれてるわけですよね。現代ではね。だから病院行ったら治っちゃってるわけです。でも今残っている痛みとか調子の悪さっていうのは、一発で治らないから残ってるわけですよね。だからどうしても、治りにくいっていうのはありますよね。さっき言った癖とか、毎日の積み重ねの中でどんどん溜まってきてたものが、一時的に減っても、また戻ってくるんですよね。」

「あ、じゃ私もいいですか?やって治るものもあるけど、治らないものもありますか?例えば、昔痛めたところがずっと痛くて、そういうのは一生付き合っていかないといけないっていうか、共存していかないといけないのかな?と。それこそ、一発でバンって治らないかな、とか、期待をまだ持ってるんですけど(笑)」

「まあ、それもやってみないと分からないんですよね。治るかもしれないし、長い間治らなかったからと言って悪いわけでもなかったりとか、試してみないとね。ただ、よく思うのは、やっぱり人間の体って、だんだん古びていって、いつかは動かなくなっていくわけじゃないですか。だから、どこかでそれと折り合いをつけとかないといけないわけですよね。折り合いをつけるためにも、”「からだ」”の感じを分かっとかないといけないんですよね。」

「うん。」

「自分の体が、だんだんガタが来てて、『これ以上は動かない、あとは若い世代に任せた』って思えるのは、やっぱり自分の体をちゃんと感じれてこそ思えることだと思うんですよね。それを自分の感じる生々しい”「からだ」”じゃなく、一般論の”体”だけでやってしまってると、機械に取り換えてとか、人工培養した心臓に取り換えてとか、そんな感じになってくるわけで(笑)」

「あー(笑)」

「あんまり、人間ぽくないんちゃうかなって思いますね。だから、自分で『この痛みは付き合っていかなあかんもんや』って思うためにも、逆にやっぱり、自分の”「からだ」”と付き合っていくことじゃないかなと思いますね。

「はい。じゃあ、時間になりましたので、ここまでとしますね。今日は皆さん、お集り頂きましてありがとうございました。宮崎先生、今日は本当にありがとうございました!」

「ありがとうございました。」

 

(会場拍手)

 

 

***

 

…ということで、対談書き起こしシリーズ、お楽しみいただけたでしょうか?(*^^)v

対談中に出てきたように、除霊に通うほど(笑)悩んできた頭痛は、今はほとんど起こらなくなり(起こっても、自分で普段から感じられているので、玉突きぐるぐるが分かる⇒対処できる)、他にも体にどんどん詳しくなったことで、今年はなんと花粉症(10年もの)も治ってしまいました…!

 

私が楽しくおしゃべりしたい!という勝手な想いで企画した今回のイベントですが、快く登壇してくださった宮崎先生、本当にありがとうございました!また、集まってくださった皆様、VIVAはんにしの皆様に感謝感謝です!

 

今はこんな状況ですが、またコロナ感染が落ち着いた頃には、対面で「からだ」を感じるワークショップなど企画したいなぁと考えています。その際はぜひ、ご一緒に!

 

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☆宮崎先生シリーズ 一覧☆

 

 

 

 

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