M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

あらためまして、からだと心・人間。

昨日Twitterでこんなつぶやきぽろりしたんですが。


ここに至るまで、ほんっと、妙に、長いことかかりました~(笑)それはそれは根深くて大きな葛藤だった!

わたし=「体癖論を語る人」という
アイデンティティを、手放せなかったんですね。

 

それらしきことは何度か体癖LINEでつぶやいたりしていたけれど、
それでも、「私とは、体癖の人である」の鎧を、どうしても、脱げなかった。

過去の自分と、この3年と少しで「体癖論講師の長岡さん」と繋がってくれた沢山の方々とを、裏切るような気持ちがあって。

 

2012年から2019年末(つい5ヶ月くらい前まで!)、
私は本当に体癖論から観る世界を愛していて。
一生体癖論の虜なんだろうな♪と信じて疑わなかった。

 

その枠のふちはほとんど、「わたし」の輪郭をなぞっていたし、その「わたし」感覚はとても、心地よかった。

 

体癖論を掴み独自のものに昇華していく過程はそのまま、自分に生きる希望を与えてくれたものだったから(大げさでなく)、妙な「感謝の念」みたいなものもあったのかも(笑)

 

あー、「体癖さん」を裏切っちゃいけないみたいな?
なんじゃそれ(笑)
とまあね、それくらい、大きかった。

 

でも年末年始に怒涛の内面ブレイクスルーが重なって
新しい自我感覚でこの世界に触れると、
そして、ライフデザイン講座を語る新しい自分として生きだすと、

追いかけていたはずのそれが、
扱う一つの現象、
に、変わってたんですよね。

 

 

捉え違って欲しくないのですが、
アイデンティティ=悪、ではありません。

だけれど、それへの「依存」や「とらわれ」は、「自由さ」の対極にあるもの。

 

 

どんなアイデンティティを握りしめていて、
その何に葛藤しているか?

他人は、本人の葛藤を精確に推し量ることは、一切、できない。

 

いつもいつも見るべきは、「世界中の誰でもない、自分自身がそのことについて、どんなふうに葛藤しているか。」他者視点も社会的価値観も、そんなのカンケーねぇ(古)。

 

それに気づきさえすれば、真正面から扱うのも良いし、握りしめていた手をぱっと放してみるとそれだけでもよし。全く新しい世界が広がっている^ ^

 

 

書いててより分かったんですけど、
新しいidentityが欲しかったんだな。
「●●●の、長岡です」みたいな、分かりやすい何か。

 

それが手に入ってから、手放そう、みたいな。
姑息だわーw
いのちに対して、小賢しい態度だわーw
美しくない!

 

ただ「わたし」として生きますよん!

 

 

そして、もう既にこの「ぽいっ」とした感覚自体は少し前のことで。(明言できたのが昨日というだけ)

 

そうするとますます、
「からだと心」って本当に、面白い✨

 

そのど真ん中に居る「体癖」の輝きは、より純粋で、クリアかも。

相変わらず体癖講座は開講しますよ^^
もちろん!

だけど、それ以外のシーンであえて体癖体癖と声高に固執することは、もう無いだろうなぁ。

 

ということであらためて、やりまっせ!
「からだと心」「人間」!(*^_^*)

 

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