M.nagaoka’s notes

~ よく生き、よく歌う ~

自死のニュースに触れて。

三浦春馬くんの自殺のニュースについて。

もちろんショックが大きい方もたくさんいると思います。できるだけ考えたくない、というのも、自分を守るための正常な「反応」ですよね。

ただ、私は安易に、自殺がだめだ、自殺するなんて可哀そうだ、不幸だ、いや良かったんだ、自殺する社会がだめだ、原因は何だ、真実はどれだ、、、と、追求や断定の意識になることを、徹底して拒否します。

自死を選んでしまえるほどに、脳機能が思考が複雑多様化し進化してきた「人間」たる「生命」を、いつもいつも、想います。

大学のサークル仲間で、自死を選んだ後輩がいます。東日本の震災の直前でした。2つ下の学年では一番の仲良しで、学生時代は、歌の個別レッスンをしたこともあったなぁ。私の学部に附属していた音楽棟(古いお化け屋敷みたいな(笑)、レッスン棟)で、何度も「声」とは?「歌」とは?を伝えたこと、ながおさんのようになりたいと私のグループの十八番「星のかけらを探しに行こう」もそのまんまコピーして歌っていて^^告別式で、何十人もの大合唱になり、その後何年も、その曲は「歌われない曲」になりました。(後にも先にも、私が発声を「教えること」をしたのは、彼女1人だけでした。)

もうあれこれ朧げになってしまったけれど、彼女の「質感」は今もよく覚えています。mixi(懐かしいw)には今もアカウントが残っていて、1日違いの誕生日に毎年リマインドを送ってくる。

直前のSOSを、私はうまく受けいれられず、何も差し出せずにいました。切り離し。見て見ぬふり。

今はあの頃の自分を分かっていてやれます。ただただ、怖かった。自分だって、生きることが苦しい。私は彼女に何も伝えてあげられない。強いふりをして、鎧をまとって、必死にふんばっていた。ただ、それだけ。

彼女は「死」をただ、ただ、選び、世界へ表現しました。

随分長い間、自分への身勝手な呪いを手放せずにいた気がします。考えないようにしたこともあったし、2,3年前に出演したサークルの20周年ライブでは、周囲の目線も少し感じながら、堂々と「星のかけらを探しに行こう」を歌いました。まだ少し、ヒリヒリしながら。

 

 

友人に、1つ年下の妹さんの自死を止めに入った経験をしている方がいます。妹さんは一命をとりとめながら、その後も鬱を抜けず、「はざま」にいる、と聞いていました。

当時、彼に後輩が死んでしまったと報告したときの言葉。

「自殺って、悪いことなんかな。止めたことは、良かったことなんかな。今のあいつを見ていて、俺は今も、分からへん。」

 

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考え方を提示したり、”何か”を”説得”するためではなく、ただ、「いのち」に触れたくて、これを書きました^^

 

全ては、ただ、起きる。

私は今日も「いのち」であって、「人間」やっちゃってます、なう^^

読んでくださって、ありがとうございました!