
「言語化って、どうすれば上手くなりますか?」
例えばコンセプト設計の際、企画骨子を練り上げる最中、自己理解を刷新する瞬間、対人的な課題に取り組む場面…。日々、クライアントさん・仲間達の思考シーンの伴走を行う際に、それそのものがメインテーマになることはなくとも頻度高く扱うテーマの一つに、「言語化」のことが挙げられます。
「言葉にすると、ズレる。」
「大切なことほど、言語化できない。」
「う、うまく言えない…。」 etc.
言語化対象は実に様々で、内面のこと(感情や欲求、信念、美意識…)、ゴール関連(動機、目的、ビジョン…)、価値関連(強み弱み、ニーズ、提供価値、差別化ポイント…)、美学や哲学、意見、戦略…あげればキリがありません。
上達バナシをする前にまず押さえておきたい大前提は、「何でもかんでも言葉にする必要は、もちろん無い。」ということ。【言語を立ち上げること】にも、【言葉にせず沈黙を選ぶこと】にも、いずれの表現も相応にメリットやデメリットや趣があるもの。言語化努力は義務ではありませんし、表現手段は何も言語に限ったものでもなく、絵や図、身振り手振りなど多様にあり得る。
一方、そもそも言葉にするということは、曖昧模糊とした感覚や概念の輪郭を仮にでも確定させるということ。そして確定させることは、他を捨てるということ。
この決断コストや、言葉を当てはめることで生じる責任を引き受けることを無意識に避けているケースというのは、実際とても多いなと感じます。日常の平穏を保つ上では大きな問題は無いかもしれませんが、事業や活動を通じて創造的であろうとするならば、どうしたって『これである』と縁(ふち)を描く決断が度々必要になるもの。
その意味で、言語化のテーマに向き合う必要があるということは、その人が何かと真摯に向き合おうとしている証かもしれません。
…と、日々そんなふうに思っている私が、今もしセッションや講義の場で「どうすれば言語化が上達するか?(お前はどう考えるのか)」と聞かれたら、どう答えるか?を、考えてみました^ ^
さて、上手に言語化できるようになりたいのであれば、
①一致感を高める【対自己】
②響きを豊かにする【対他者】
まずこの方向性を意識すること。また、その
③経験値を積み重ねる
こと。そんなふうに考えました。一つずつ解説します。
①一致感を高める【対自己】
これから言語化しようとしている、未分化で曖昧とした「言語以前の、何か」「これではない、別の何か」を捉えようと光を当てられるのは、己だけです。言語化を試みる際、まずは自身の内側に深く潜るように、または高く遠いところから見渡すように、対象をあちこちからよく観察します。そして、あれでもない・これでもないと、既知の言葉を当てはめたり、無ければ組み合わせてみたりして、"それ"と一致するものかどうかを検証し、決める。
言語化に正解も不正解もありませんから、「その言語化は、うまくいっているのか?より良いものか?」をはかる基準は、当然まず「自分自身の言わんとしているそれと、一致しているか?」を確認することです。言い換えると、その言葉に「納得感はあるか?」「嘘やズレ、違和感はそぎ落とされているか?」ということ。
つまり、言語化しようとする際も、より良い言語化であるかを検証する際も、どこか外側にある何かを基準に置かず、まず第一に「自分自身の一致感を、できるだけ高めよう。」と意図することです。完全や完璧などあり得ませんから、都度これらを自分の感覚に問い続ける試みは、とてもやりがいのあるチャレンジですし、トライすればするほど自身の事業や活動、働きや営み、在り方そのものの純度が高まる様子も沢山見て来ました。
少しケース分けしておくと、
まず自身の内面や曖昧とした概念を自ら丁寧に観察してきた経験値が不足している人は、極端に一致感の高い言語化が苦手な印象です。その場合、まずそれらに「自ら出向こう」とすることです。言葉にするのは自分だと、決める。そして、何度もやってみることです。自転車にだってすぐには乗れなかったのですから、立ち止まってじっくり眺めることにも、何度もトライしてみれば良いですね。
次に、外側の基準に合わせて言葉を使って来た時間が長い人や、正解探しをし過ぎて身体感覚が鈍麻している人に関しては、「この言葉で良いのか不安。」「しっくり来ているかどうか自体が分からない。」など、判断や決断の課題が如実に現れます。
この場合、まずは身体の声に耳を傾けましょう。その言葉を使うことで、息がしやすくなる、胸の奥が軽くなるなど、「どちらかというと、心地良い感じ」があるならば、身体感覚と言語表現の一致具合や調子がよい証拠です。逆に、違和感や気持ち悪さ、喉が詰まるなど「嫌な感じ」をキャッチできれば、それは新たに自分なりの言語化という創作に取り組むチャンスだというお知らせなのです。
その他、言葉に対する感性の豊かな人であればあるほど、言語化する/しないの境界線のテーマと向き合う機会が多い印象です。要は、言葉にしない(できない)時に、「自分はどこか、逃げてしまっていないか?」と逡巡したり葛藤を抱いたりしやすい、ということ。(※こういう、言葉への繊細さを持つ人との仕事はめちゃくちゃ楽しいし、好き!)
これについても、先の「身体感覚に問う」ことで向かう方向性は明確になります。もし、それを言語化しないことで全体的に「どこか良い感じ」がするならば、それ以上に何も必要ありません。原理的・構造的に言語化できないものや、情緒的に・美意識の観点から敢えて言葉にする必要のないものなどいくらでもありますから、言葉にしない"沈黙"を尊重すべきです。一方、言語化しないことが「どうにも、嫌な感じ」なのであれば、立ち止まって言葉を紡ぎ直しましょう。違和感があるならば、それを言語表現の彩りを増すチャンスに変えるのです。
最後にあらゆるケースの土台として、よく言われる「語彙を増やすこと」ももちろん良いですよね。当てはめや組み合わせの選択肢を増やすことになります。また、日記やジャーナリングなど内面を「記述すること」は何であれ、しっくり感のある言葉で書く基礎トレーニングに変えることが可能です。
いずれも、言葉を無味無臭で表面的な記号と捉えるのではなく、自身の感性や価値観、美意識等の鏡だと捉えられると、いわゆる「自分の言葉」で書いたり話したりしている実感が持てますし、言語化はどこまも上達してゆくことでしょう。
②響きを豊かにする【対他者】
他者に向けて編む言葉についても、①の一致感や納得感ある言語化を意図することは大前提、重要です。
この前提を引き継ぎつつ、関わり合いの道具としての言葉とは、単なる情報伝達に留まりません。自己と他者(他人や社会など、自分自身以外のあらゆる他者存在)とに心地よい共鳴や共振、あるいはあえての不協和音を生じさせる。そんな「自他のはざまの響き合い」をいかに豊かにできるかが、言語化上達の鍵になるのではないでしょうか。
人と協働して言葉を扱ってきた経験が少ない人や、内面に関心が向きがちで他者・外側に注意を向けづらい分野であったりすると、「人の立場に立ってみる」「様々な視点でものを考える」「想像力を働かせ、シミュレーションする」といった思考経験も少なくなります。結果、意図せず言葉は独りよがりになり、「誤解される」「意図したことが全く伝わらない」といった課題が現れやすい。
この場合、無意識的に「自分の放った言葉は他者も全く同じように受け取っているはずだ」という強い思い込みが働いていることが多い。まずは「同じ言葉でも、定義や解釈は千差万別」「一致感は1人1人異なっている」ということ、強めに言うと「自身の放った言葉が、他者の中で同じ輪郭を描くことはあり得ない」という、ある種の真理を掴み直すことが必要です。
その上で、例えばもし、何かを相手に届けたいのであれば、独りよがりの一致感ではなく「私とあなた」の一致感を紡ごうと強く意図すること。例えばもし、自他のはざまに何かを投じたいのであれば、その波紋に相応しい言葉を練り上げること。いずれも、あれでもないこれでもないと、言い換えたり翻訳しながら、これから言葉を投じる空間で、より良く鳴るであろう言葉を想像し、創造する。これはどこまで行っても正解もベストも無く、生涯に渡って探究のしがいのある、実に奥深いテーマだなと感じます。(…いやぁ、人間って本当に、難解で不思議で、面白いことをやってますよね・・・!!)
なお、他者に向けた言語化がより良いものであったのか、実際の響き具合(どんなふうに鳴り、どんな作用が起きたのか)については、究極のところ、確認のしようがありません(!)。
もちろん、事業や活動における検証指標として、相手のリアクション数や、販売数値、顧客の感想等で推し量ることはできますが、どこまで行っても、それは推測の域を出ないことだと分かっておくこと。だからこそ、響き合いをチューニングする視点が重要ですし、結果から振り返り、フィードバックをかけ、言葉を編み続ける態度が必要でしょう。
他者がどう受け取るかは100%他者の決めることであり、選んだ言葉が他者の側にどう作用するかはコントロールの範囲外。だとすれば、自分にできることは、心を尽くして、豊かに響く言葉づくりを行うことだけだと言えないでしょうか。
③経験値を積み重ねる
ここまで、①一致感を高める方へ②響きの豊かになる方へと、上達の際に目指すと良い方向性について書いてきました。最後に、「言語化経験値を積むこと」。これが、上達のための最重要項目です。
…こう言われると、なんだか肩すかしをくらうような印象があるかもしれませんが、「言語化"力"」と能力のようなものがあるとすれば、その違いを最も決めるものは、基本的に(持って生まれた天賦の才というよりは)言葉にしてきた経験値の差が大きいと思うのです。
言語化するという営みには、矛盾や葛藤を調整したり、曖昧さに一旦線を引く決断をしたりと、存外様々な思考や意思決定が求められます。言語化に限らず、けん玉やスポーツや楽器演奏、何らか職人芸や名人の業にしても、それは気の遠くなるような反復実践や試行錯誤を繰り返してきた経験により土台がなされますよね。またそれが一定量を超えると直感的な示唆が湧き、上達サイクルが一段上がったりもする。言語化の上達についても全く同様に、自分の納得感を求め、他者との豊かな響きを模索し、繰り返し言語化に挑戦してきた経験値こそが、それをそのまま支え伸ばす肥やしとなります。ですから、「言語化の上達のために必要なことは、何度も言語化してみること」、なのです。
なお、ビジネスや表現活動面での課題感で言えば、それは事業フェーズの変化であったり転換期の渦中に多くあるでしょうから、「単にその分野の言語化経験が少ないだけ」というケースも多々あります。
逆に言えば、こちらから適切な問いを投げかけさえすれば(または適切な思考フレームさえ持つことができれば)、実はすんなり答えられる=言語化できてしまう/経験値を高められる、といったこともよくあります。
事例をいくつかあげてみると、
■Aさん(物販事業):「ターゲット」の言語化
商品を誰に最も届けたいか、その不明瞭さが課題。ぼんやりと「こんな感じの人達」というイメージは持っているが、言語化できない。
→先に「誰では無いか?」を問うていくと、すらすらと言語化できた。結果、ターゲットの解像度が高まり、一致感ある「誰に届けたいか?」の言語化ができた。
↑これは、曖昧な輪郭の外側をまず明らかにすることで、ぴたっとはまる人物像へと対極から迫ってゆく手法ですね。
■Bさん(セラピスト):「コンセプト」の言語化
サービスの価値を言葉にすると、ズレを感じる。よくある「癒し」という言葉に違和感はあるが、自身の感じていることそのものは言葉にできない。
→まず、お客様に実際に喜んで頂けた提供事例をいくつか、時系列や物語・逐語録などの形でできるだけ具体的に記述して行った。複数の事例を解像度高く取り出せた結果、共通項や特徴的な事柄、ご本人の哲学が炙り出され、一致感と共鳴を強く意図したコンセプト設計に進むことができた。
↑こちらは言葉の凝縮・昇華作業の前に、一旦具体の方へ紐解くことで、言語化のコアとなる素材を取り出す技法です。
■Cさん(地域活性事業):他者へ伝える言葉の言語化
チームメンバーに想いがうまく伝わらず、独り相撲をしているようなジレンマ。
→「まちの活性」といった抽象的な言葉を一旦棚上げし、自身の根源にある私的な原動力を深掘りし、一致感高く言語化。その想いを個々のメンバーやチーム全体の文脈と接続して伝えるごとに、一体感が生まれた。
↑これは、個人の言葉をチームの言葉へと「翻訳」することで、場の響きを高める技法と言えます。
これらはいずれも、「輪郭の手繰り寄せ方」が分からなかっただけで、適切なガイドさえあれば、「より良い言語化」実践は十分に可能になります。こうした言語化のハウツーは探せばいくらでも出会えますし、今は対話型AIという強力なサポートもありますから、①一致感と②創出したい響きを意図しさえすれば、存分に③良質な言語化経験値を高め続けることができるでしょう。
もし、特定の部分の言語化スキルを伸ばしたい場合は、感情の言語化だけ、価値観の言語化だけ、具体化だけ・抽象化だけ、というふうに1つテーマを決めて、「1日15分×2週間」や「1度に10語」など、時間や回数を区切って集中的に経験値を高めることをおすすめします。このやり方で、塾生さんや仲間達は飛躍的に言語化の上達を見せていますので、ぜひ参考にしてください。
とはいえ、言葉は毎日使うものですから、日常こそが実践の場。「自分への『納得(一致感)』と、相手との『響き合い』の反復横跳びの『経験値』」の数だけ、言語化は上達できるのではないでしょうか。
私自身も研鑽を続けたいですし、こうした個々の言語化の上達の先に、瑞々しく彩り豊かな言葉の溢れるより良い社会が開かれると思うと、とても楽しみです。
■最後に
言語化とその上達について、私なりの考えを書いてみましたがいかがだったでしょうか。私はちょっと、こういったことが好き過ぎるので、マニアックさ・過剰さから読みづらいところが多々あったかと思います。ごめんなさい。
ぼんやりした何かを、ぱっと言語化できた瞬間の気持ちよさって、なかなか他に無い快楽ですよね。仕事柄、言語化をアシストさせて頂く機会は日常に多くありますが、言語化が叶った際の「そうです!それが言いたかったことです…!」「あぁ…やっと言葉にできた…!」という、自己と出会い直したような歓びや、「周囲の反応が変わった!」「予想外に、事業にこんな展開があった」など、言葉を紡いだ先の豊かさを享受する様子を見守らせてもらえることは、私にとっても最高の喜びの一つです^ ^
今回、久しぶりに何かコラムを書いてみようと思ったきっかけの一つに、たまたま手に取った千葉雅也さんの著書の中の一節があります。
「それにしても、こういう本は三〇代では書けなかった。四〇代になって、人生の折り返し地点になってやっと、もう書くしかないや、と思えた。それは一種の諦めです。今の状態で、僕の現代思想理解はいわば「飽和」している。もうこの先大きく変わることはない。意図的に変えようとしなければ変わらないだろう理解がもう固まっていて、それは限界でもあり、それをどうするかを考えなければならないのですが、ともかくその理解を外部化する=書いてしまう必要がある、と思ったのです。もっと他の読み方もあるかもしれないけれど、僕にとって現代思想はこうで、もうこうなってしまったので仕方ないからそれを客観視しよう、という諦めなのです。」
『現代思想入門』(講談社現代新書,2022)より
もちろん千葉さんのそれと同じ感覚のものでは決して無いにせよ、私も40代に入り、ここ数年自分なりの「飽和」を強く感じていました。個の支援を好むあまり、例えば言語化ひとつ取っても、ピンポイントに「あなたの場合はこう」「このケースでは、こう」と、こちらから提示できる理解や解釈はある種極まっていて、それはぴったり、その限界を意味します。
だから、はっきりと構造化されてしまったこれを進化させたいと願うならば、個の問いにのみ答えるでもなく、かと言って体系化するでもなく、絶妙なレイヤーで「問いに回答し、語る」ことで進むものがあるのではないかと思い、文章にしてみた次第です。
しかし、どうしてまた「言語化」を最初のテーマにしてしまったのだろう…。言語化の言語化なんて、恐ろしく難解なチャレンジではないか!と途中で気づき、脳に汗をかきかき、書きました。
理解に苦しむ部分や、欠落や盲点のご指摘などありましたら、ぜひぜひお寄せください。
では!