
とある少し昔のドラマ(『ここは今から倫理です。』NHK/原作・雨瀬シオリさん)の中で、「傷ついた人を前にした時、抱きしめることで渇きを満たすことは、果たして善か?」といった問いがありました。
続けてこう問います。「それはまるで、飢えている人に500円を渡すようなもの。明日は?明後日は?その先はどうなる?」
台詞はうろ覚えですが、今、一時的に満たすだけではなく、その先も本人が自立して生きていけるようにすること。それがより良い・倫理的に正しい支援なのではないか、という投げかけが含まれているように感じました。
良い題材だなぁ、と。
ドラマの本筋とは外れますが、ここではあえてもう少しこの部分の問いを一般化してみますね。
Q.「傷を癒す」ことと「自立支援」、どちらが大切か?
もし、こう質問されたとしたら、あなたならどう答えますか?(※良ければ一度、読む手を止め自分事に引きつけて考え、答えを出してみてくださいね。)
さて、私の場合、答えは明確です。
「どちらも、大切。」
概念上、どちらに価値があるのかと聞かれたら、私にとってはどちらも同じだけ大切だからです。それ以上でもそれ以下でもありません。
でも、問いがこう変わると、話はまた違ってきます。
Q.では、あなた自身にできることは何か?
Q.あなたがしたいことは何か?
これは「何が正しいか」という問いではなく、自分自身の振る舞いを選ぶ問いです。もちろん家族や友人が困っている時など場面によっても当然答えは変わりますが、こと仕事のシーンを想定すると、回答はなおのこと、はっきりしてきます。
私の回答は一旦置いておくとして、自分の立場を何らか想定してみると、いかがでしょう?
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癒しか自立か。
回復か成長か。
マイナスからゼロか、1から10か。
このテーマって、ケアの領域に携わる専門職の方だけでなく、「人間」に関わる仕事であれば、実はかなりの人に関係する問いだと思うんですよね。心の傷という概念に一切関わらず生涯過ごす人も少ないでしょうし。
実際に見てきた具体例を挙げてみても、
・癒すことだけでは片手落ちだと指摘され、自信をなくしている人
・逆に自立ばかりを急かして、クライアントを追い込んでしまった人
・癒しなき自立はあり得ない、と強すぎる信念がトラブルを招いてしまった人
色々な方がいます。
あなた自身にできることは何か?
あなたがしたいことは何か?
この問いに軽やかに答えられない・何か窮するところがあるなら、そこには、自分が「大切だと思うこと」と「自分が担うこと」が、どこか混線してしまっているかもしれません。
ちなみに、癒しか自立支援かの二軸で限定するならば、私は圧倒的に「自立支援」の方を得意とします。やりたいこともそちらですね。セラピーも相当勉強してきましたし、技術習得も結構してきたので、その振る舞いもできるし、必要に応じてやるんですけれど。あくまでもそれは自立支援の一部としてやりますし、もしくは専門的なケアが必要な時期だと判断したら適宜リファーもします。
ドラマは学園もので、「どちらが大切なのか、どう振る舞うべきか、考え続けること」を促します。(素晴らしい作品だった!)
一方で、私たちが事業や社会的な活動の面でこの問いを扱うにあたっては、考え続けながら、同時に、自分なりの答えをはっきり出すことをおすすめしています。答えが変わっても良いから、立場を取ろうとすること。
大事かどうかという価値の問題、特に社会生活・人との関わり合いの作法としての価値判断と、自分が何を担当するかについては、別の問いだからです。
どちらにも価値があることと、ある場面でどちらを優先するかは別であると理解すること。分かった上で、万人が「全て」を担うことはできないと理解すること。役割分担をしながら、関わり合って生きるということの実践としての、仕事論として。それもまた、倫理の実践かもしれません。
「自分はどこを担当する?」—— 仕事って、その表明とも言えますね。
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