M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

”消えたい”が消えた日

死にたいと言うよりは、

生まれなかったことにして欲しい:-)

 
誰にも迷惑かけずに死ねないなら

消えてしまいたい:-)

 
何度も繰り返し考えたけど、どうにもそれが難しいと理解した時のヒリヒリと懐かしく親しみある絶望感よ…っ!!

 

幼い頃はそれを希死概念だと解釈していたし、10代は思春期の自意識過剰さも相まって、絶望の無い明るさを振る舞うこととそれをするほどに極まる深刻さの両極端にいつも振り回されていた。自分はどこか異常者なんだろうなぁと真剣に思っていた。20代前半はそれに構っていられないほど忙しく暮らすことで見て見ぬふりを完遂して(そうでもしないとバランスを保てなかったのね~)、実際に死ぬ寸前に行くまでどうにもこうにもその自分自身を扱い切れなかった。そうまで勝手に追い詰めてやっと、20代後半から「それ」と真っ向から向き合うことにした。

 


知りたい。

 


自分が存在しているとはどういうことなのか。

 


この意識が途絶えるであろう時何が起こるのか。

この意識が在るとは何がどうなっているのか。

 


理解したい。

納得したい。

 


そうでないとここに立ってられん!!!(切実)

 

 

 

…今思えば「消えたい」のでもなくて、「納得して在りたい」という、誤魔化しを潔癖に拒否する根源的な欲動、”叫び”みたいなものだった。

 

それがそうだったと自分の中で深く消化できた時、「消えたい」感覚自体が消えてしまっていた。

 

 

↓ ↓ 昨日の壇珠さんの毎日投稿はまさにそれそのもののこと。

 

ロジカルで、エモさゼロ(笑)の、爽快さ極まる「宇宙」論・「愛」論。

 

数年前、壇珠さんと壇珠さんの表現する言葉達と出会った時の、
「あ、この人は、自分とは別の納得を生きている人だ。」という予感を持った当時の自分は本当に偉いと思う(笑)いやぁ、お目が高い(笑)

あれから、壇珠さんとのやり取り(直接的にも、文章を通じても)を経て、随分と沢山の気付きがあって今に至る^ ^ 深謝。深謝。。。

 

菅美智恵(壇珠)さんという方の凄まじさは、このことを自ら、たった1人で探求して考えて考えて、目を覚ますように”それを知っていたこと”を深く理解し生きて暮らして、なおかつこうして言語化し表現して人間という体験をそのまま謳歌していることだと思う。

(私は悟っています、みたいなことを言って日常生活から離れていく人、そうでない他者を見下す人、すべてを理解することなんて生きている人間には絶対できないと決めつけそれを自己犠牲や他者冒涜の道具にする人。。。色んな人が居ますからねぇ。悪いことでももちろんないしただのいち自然現象だけれども、私は壇珠さんの在り方が極めて好みなのです!好きなのです!)

 

 

私のまわりにひっそり、でも沢山いる

「消えたい」としか言えない方へ

この記事が届きますように!

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