2022-09-03 "良かれ"の暴力性を自覚する。 人間探究 学生達をみてると、いかに「本音」を抑えて息苦しくなってるか…と😌教員や親など上からの圧力、みたいな構図じゃないのよね。"なんとなく、まわり"の期待に応えようと、ほとんどの場合"良かれ"と思って"無意識にやってる^ ^完全悪とかじゃないので本人も自覚しづらい。→— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 →時には"良かれ"の選択を超えて、「自分も自分に嘘つかず、まわりも同時に喜ぶベストな選択って、何だろう?」をじっくり立ち止まって考えると良い😆これってめちゃくちゃクリエイティブなこと!!✨— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 もちろん、わかりやすくどこかから圧力かかってる場合はSOSを!いずれにせよ、まずは自分はほんとは、どう思ってる?本音の確認から🙂麻痺してるからねぇ、かなりのケースで。— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 この"良かれ"ってほんと扱い要注意で。DV受けても性暴力にあっても、本人自身が「これは"まだ"暴力じゃないとも言える…」「私のためだし」「そもそも自分のせいじゃないか」などと逡巡することと地続き👀 https://t.co/FLxurrwtud— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 かく言う私も、振り返れば「ドメスティックな言葉の暴力」を浴び続けつつ、自覚すらできなかった時代が長〜くある👀100%自分の責任だと思ってたし、なんなら相手と周りのために"良かれ"とその立場を譲らなかった。当時は"良かれ"の奥底にある「痛い!辛い!助けて!」って叫びすら感知できなかった— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 いじめも、仲間外れも、マルトリートメントも、ネグレクトも、、ゆるやかなものこそ、双方がその関係性から抜け出しにくい。やってる側も、叩いた手は痛い。吐いた言葉の棘は、自分にも刺さる。だから、全ての人が「まず自分。そして相手、両方が本当の本当に優しく在れるには?」に、本気に!— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日 ↑これ、やってる側も"良かれ"だったりする🙄ほんと関係性って、お互いで作り出してるね。でも、やっぱり、人を殴っちゃいけない。殺しちゃいけない。自分にも他人にも、可能性を狭める方向を人は真には望んでいないもの。どこかで気づいているのに、片目つぶって暴力的な方へ逃げちゃだめ🙅♀️— 長岡 美幸 (@nagao22) 2022年9月3日