M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

「探究大だより」2024.3.7号

 

■観察と、意味づくり。

自分の知りたい・理解したい・達成したい「何か」を自ら見出し、誰にも求められていないはずの道のりをぼちぼちと紡いでゆく探究プロセスを歩むにおいて必要なこと。それは、探究活動そのものを「観察する目線」。探究大は、この目線を育むことを意図した実践場になっています。

なぜ観察か?というと、観察しないと、「無い」からです。

ビジネスの成果や人生設計の経過など、目に見える変化や結果だけを全てだと納得できるほど私たちはバカじゃない(笑) そして、わざわざこんな私塾に通わずとも、探究なんて言葉を使わずとも、人は元々、内的なプロセスをじっと観察しながら生きているもの。この無意識的に行っている「観察」ということに意識的になりながら、自らの問いに自らが答えてゆく道のりを同行二人で歩いて行く。探究って、そんな感じのものだと思うからです。

さて、探究大で扱うテーマは具体課題の解決といったものに留まらず、言わば形而上学的なテーマの自己探究等も歓迎していることもあって、ほとんどの人が、個別のテーマから導き出された解がまた次のテーマへ繋がるという一連の探究サイクルを経て、良い意味でも悪い意味でも、取っ散らかる(笑)
興味関心が広がった結果、という意味では良いことだと言えるのですが、答えを出すこと・自分なりに自分自身の内的な探究活動に句読点を打つことに不慣れであればあるほど、収拾がつかなくなるもの。

そんなプロセスから自由に意義を見出すためにも、受講期間中は全メンバーさんに対し、毎月末と個人セッションの後に「振り返り」ワークを推奨しています。

ここでいう「振り返り」は、単に事実の羅列をし直す行為を指すものではありません。それは、前述の通り外側からは決して目視できない「探究」という内的な活動を自らが「観察」することで、自由に「意味」や「価値」を創るという、とてもクリエイティブな活動のこと。
現代教育に慣れ切った私たちは、往々にして他者や外部指標に基づいたフィードバックに振り回されすぎている側面が強いように思います。

自分で自分の探究プロセスを「観察」し、振り返って、意味をつくる。これらの繰り返しで、地味ですが着実に、塾生さん達は皆「気づけば随分遠くに来たものだ」と、口にし、笑っている。

地味だけど、いいんです、こういうのが。

■今は大変で良い、と言える強さの目撃談

先日、塾生さんから、とっても素晴らしい探究姿勢(生き様)を見せてもらった話。

人生で一度や二度、差し迫った状況って誰しも起こりますよね。たまたま受講期間中に、意図せずそんな状況がやってきた塾生さん。当初の予定より受講ペースを落としながらも、ここぞで個人セッションを入れつつ話をしていた中で、彼女はポツリと、でもはっきりと、言いました。

「今もちろん大変だし、あんまりうまく考えられてもいないなと分かってもいるんです。」「でもまぁ『後から何とでも思えるし。』って、思えてるんですよね(ニッコリ)。」

数年前に出会った頃の彼女は今よりずっと怖がりで、どこか途方に暮れたような、でもその自分にも少し居心地の悪そうな、そんな印象でした。それからコツコツと自己探究を重ね、外からは目に見えない、自分にしか分からない大切なコトを一つ一つ見出し紡いできた今、「今は現実にふりまわされて良い。大変で、仕方ない。そして、後から振り返って、このことに(未来の自分が)勝手に意味を見出せばいい。」と、彼女は自ら、芯のある声で、言ったのです。

ああ、大丈夫でしかないなと、塾長は思いました^ ^

こんな感じで、こちらがハッとさせられるような変化を見せてもらえることが、多々あります。これ見守り業の一番の喜びなり。

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■塾長の雑記 - 10年前、10年後。

アンジェラ・アキというアーティストが好きだ。あまり音楽を聴くことに興味が無い(し、音楽以外の教養も文化もてんで無い)人間だけれど、彼女はとりあえず、別枠なのである。彼女が10年ぶりに日本での活動再会とのことで、必然的に10年前の自分を思い出す機会になった。

休止前のラストライブで、アンコールも終え、「またね!」と立ち去るアンジェラをいちファンとして見送った時のことは、映像的には朧気であっても、体感的には(感覚記憶としては)ありありと思い出すことができる。
まだ20代だった私はそれはもう分かりやすく勝手に傷ついていたから、今よりずっと緊張していたし、小さくなって息を潜めていたし、あとどこかいつもきょろきょろしていたように思う。巨大なライブ会場の客席の中に佇む自分に、久しぶりに会いに行ったような感覚だった。

ああ、10年で日常の「感覚」が随分と変わったんだなぁ、と思った。同時に、10年後は(一応生きているとして)、果たしてどんな感じで生きて暮らしているんだろう?とも^ ^

万物は変化し続ける。ひとつとして変わりゆかないものはない。

この無常と呼ばれる真理を、我らは皆、体現している。

何をしてもいい。どう思ってもいい。
何もせず、何を思わずともいい。

なんでもいい(笑)

アンジーの歌を聴いていると久しぶりにまた歌いたくなった。理由は無い。さ、よく生き、よく歌っていこうかね!(おわり)

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