M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

11.整理の解体 - また1つ、最強の遊びを発見してしまった。

*この記事はnoteで連載中のコラム『探究録の整理棚』より転載しています。

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(「4.不器用さを、あきらめる。」本文より)
私は昔から、「この世界との接続の仕方」のようなもの、自分の「認知特性」とでも言えるそれに、とてつもなく興味津々なところがある。

"どうやら、人と自分とは、全く同じようには物事を認識していなようだ。"

言葉にするとあまりに当然すぎることだけれど、「じゃあ、自分と人とは、一体どんなふうに、違っている??」。このことを思うと、私はとにかく、異様に、めっちゃくちゃ!、探究モードに火がついてしまう。違い、を認識するには、同じ、を理解する必要があるし、違い、とは、一体どんな違いなのか。無数にあるそれを、無性に把握したくなってしまう。

 

↑以前書いたこちらのコラム(高校時代のエピソード)は、認知機能の中でも「記憶」に関する探究だった。

今回も、人の認知機能、ひいては知性たるあれこれに関しての、ごくごく個人的な探究記録。

さて、人の認知機能やその特性を自身の認知機能を持って知ろうとする営みは、自分のつむじをなんとかして自分で目視しようと奮闘するような、非常に難解なことである。そもそも、「認知プロセスなるものを、自身のそれ以外をもって認識すること自体が不可能だ」という構造上の問題があるのだから、どこまで行っても見落としや認識不可能な部分があり続けるはずで、ゆえにこの探究はどこにも到達しない感覚が常につきまとう。(…なんだから、意識を持った我々人類が、意識で意識そのものを理解し科学しきろうなんて話題、前提がそもそもどこか変な気がしてならない。)

話が飛んだ。さて今回は多くの方に「マニアックぅ~!」と笑い飛ばして頂ける可能性、過去最大級。頭の中の整理整頓のこと。では、どうぞ!

■え、整理?してました?

2022年春。2年近く続けていた先述の壇珠さん(菅美智恵さん)のサービス設計サポートも山場を越えつつあった頃で、その日も2人でそれまでの道程を振り返っては「どうしてこんなにスムーズにやって来られたんだろう!」などと楽しくおしゃべりしていた。彼女はふと

「長岡さん(※実際はみゆきたんと呼ばれている)はさ、ずっと『整理』してくれてる感じだよねぇ。」と、サラリと言った。

「ん・・・?整理・・・?いや、私はただ、壇珠さんの中にあるものを取り出して形にするところを手伝っただけでですね。サービス設計を手伝ったとか言いましても、むしろほとんど何もしていないというか、ええはい、ふてぶてしくここに居ただけに近いと言いますか何というか・・(笑)  え?整理??してました???👀」

きょとん、と一寸した後、私はざっと自分自身をスキャンし直し、はたと膝を打った。

「・・・いや、してたな。笑」

「・・・違うぞ。むしろ”整理しかしてない”んじゃないか・・・!?」

目から鱗だった。この、他者からすると全くもってどうということはない、何ならもはや自明のことのような、遅れて来た自己発見が(※自己の発見とは大抵そんなものだ)、私のその後の一大探究テーマやビジネス展開の指針へと繋がっていくことになるとは、この時は思いもしなかった。

さて、ここでこの小さな自己理解をそれ単体として終わらせないのが、オタク気質でしつこさが強みであり弱みである私の、強烈な特徴である(笑)

さあ来た!おもしろい探究テーマが現れたぞ!

「整理とは何かを、整理したい!!」

■整理の解体

この出来事をきっかけに、私は長年関心を寄せている、人間の認知機能(理解や判断,認識,言語処理や計算,学習,記憶…などなど、要は頭の中で起きる色々なこと)や知性に関しての探究に、また一段深く取り組んで行った。

とはいえ、私は認知科学者でも脳神経科学者でも哲学者でもなければ、教育畑周辺でただウロウロとしている、凡庸ないち生活者だ。文献等にあたることよりまず先に、「自分は一体、何をやっているのか?」を解体することにした。(※あらゆる探究プロセスにおいて、この工程が最もエキサイティングである!)

取りかかってから数週間ほどたった頃のつぶやきがこちら。

※2022年6月3日 Twitter(現X)より

私がセッションやコンサル、ディレクターワーク等でやってることって、要は全部「思考の整理のサポート」なんだなと_φ(・_・

思考の整理って結局、何やってんの?を、整理してみた。(ら、こんなの既に誰か整理してるよな…って内容になった(笑)けど自分のやってることが整理し始められてスッキリ🙂)

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この!この手書きメモに雑にでもまとめられた時の!興奮たるや…っ!!!

「そう、そうそうそう!私がクライアントさん達に対してやっていることって、これ!この流れを作ってるってことだーーー!くぅ~~!!!」

部屋で1人、これまで自分が完全に見落としていた部分を取り出せたことに対し、静かに狂喜乱舞。

しかし、だ。しばらくニタニタとメモを眺めながら、ふと言い知れぬ既視感に襲われた私は、「整理」のキーワードから思い出した佐藤可士和氏のベストセラー本、『佐藤可士和の超整理術 』(佐藤可士和,2007)を本棚から引っ張り出し、パラパラとめくった。

…なんと、そこには、ほとんど同じプロセスが、表現スタイルこそ違えど、もうしっかりと書かれていたではないか!!!そしてもちろん、既読本である。笑

「まっ、そりゃそうよね。私が関心を持つことなんて、すでに先人様どなたかが必ず解き明かしているに決まってるしね~。」
「でもさ!それをさ!自分で解体して、納得するのが面白いんじゃない!ねっ!あの頃はピンと来なかったけれど、今は手に取るように本の内容に実感持って共感できる所が多々あるしさぁ!うふふふ~~~(嬉)。」

「・・・ん?待てよ、可士和氏も同じ認知プロセスを経ることであり、かつ多くの読者さんに応用が利く分野であるということは、これは人の共通機構?…とはいえ得手不得手のかなりある分野であることも間違い無いぞ?一体どこに、どんな個体差が!?」

長岡氏、再び探究モグラモードへ。

・大型書店で思考術等の書籍を手当たり次第に眺める。
・認知科学や発達、精神まわりの関連文献をうろつく。
・ネットの海に潜る。
・これまでの自身orクライアントさんたちの思考整理プロセスの再検証、再検証、再検証・・・。

こうなると、一旦思考はとっ散らかる。カオスはぐんぐん、増大する。それで良い。私は何度も白目を剥き(笑)、世の偉い人達のように賢くなりたいと天を仰いだ。が、私には今この頭と限られた経験値しかない。仕方がない!
とは言え、”体と心”の探究時代のようなある種の深刻さを伴わない探究的思索は、得てして至高の遊びでしかないのである^ ^

過程のつぶやきがこちら。

※2022年8月7日 Twitter(現X)より

自分の(人間の)「思考の整理」プロセスを解体しまくってたら、「思考」そのもののゲシュタルトが崩壊してしまった😇再創造中😇
つぶさに見ていくと、過程1つ1つは「自動的」と言える気がする😇ふむ、思考は行為では無い🙄?
それらを引きで見て全体性の方は「思考」と呼んでもしっくり来る気がする🤔

じゃあ、1つ1つの、そしてそれら全体(ひとまとまり)の思考プロセスは、志向性という意識の特性が"運んで"いる??(言い過ぎな気も…)
あ。でも1つ1つ・全体を"それ"として認識するものを「意思」と呼ぶなら、やっぱり思考は主体性をもった行為と呼べるなぁ🙄
…もうちょっと整理が必要(笑)

※2022年8月9日 Twitter(現X)より

整理プロセス全部これで説明できた。シンプル過ぎてびっくり😳

①取り出し
②把握・理解
③解釈
(④取り出し…以下、繰り返し)

 

・・・ご覧いただけたであろうか。これが「ただ知りたい」「ただ理解したい」「ただ構造把握したい」、かといってアカデミック界の住民でもない、”知りたがりな凡人”の凡庸な日常である。
思い返せば小学生の頃も、お菓子の箱などを次々解体しては、「なるほどこんな構造になっているのね!機能的だなぁ。」などと感動していた、理由なき構造フェチ、仕組みフェチである。あの頃から思考ならぬ嗜好が全く変わっていない。ああ。笑

その後、ひとしきり気が済むまで探究にふけり、納得のもと手作りしたものが、整理整頓のステップとそのファシリテーション形態であり、それらを使った思考整理サポートのサービスだった。

※(参考)思考整理のステップ解説

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「思考の整理・個人セッション」案内より

(※なお、これは単に私個人がそのようにファシリテートすれば誰でもそう順を追って進んでいくという、"説明"に過ぎないものである。実際のプロセスにおいては当然個々の持つ多様な認知特性・知性の個体差とでも呼べるようなものが複雑に絡み、またその日の心身の健康状態も影響するなどして、仮に説明したとて、受け手や他者から見てこの流れ自体が認識できないことの方が多い。よって、これを「ハウツー」的なものとして語る気はあまりなく、おそらく認知機能をもった人類に共通であろう構造理解の範疇の話であって、ゆえに思考整理とは技術としてではなく個別化された一回性の強い認知体験の一つとして語られるべきものだとも思っている。)

・・・といった、細か~~~~~~いことに、ほとんどの読者皆様が関心をお持ちでないでことも想像に難くない。笑

兎にも角にも私は、それまで息をするように行ってしまっていた属人的な思考整理とそのサポートプロセスを自分の内側から取り出し直せたことで、「自分は一体、何なら出来て、何は出来ないのか?」の探究をぐっと深めることができた。そのことで、2022年以降の事業設計が非常にしやすくなったこともまた事実である。深い自己理解こそ個人事業経営の根幹だ。突き動かされるように探究してみて、まぁ、良かった。

■私=セコム?笑

整理の探究の中で、おこぼれ的に自身の認知特性のようなものの発見もたくさんあった。

例を挙げると、

◇聴覚(特に音声言語)情報に対する感受性の高さ。←以前から自覚的であったが、他者の整理サポートにおいて、ここがかなり働いている様子。
◇「注意」のコントロールにやや難あり。←いつどんなふうに難ありか、認知傾向の自己認識精度が爆上がりした。良かった。
◇いわゆる「同時処理」より「継次処理」が思った以上に強そう。←暴走により予期不安が強くなりがち。こうなるとセキュリティ感度が上がりまくり、準備シミュレーションしまくり・守備つよつよ大魔神と化す。つまり、私 ≒ ほとんどセコム!(違)

・・・など、など。おもしろい^ ^

これら整理という観点からの認知探究によって、ますます「同じ人間などこの世に1人もいない」こと、「自分と他者とは本当に全くもって異なる世界を生きている」ことについて、一段と細やかに理解を深められたように思う。

■「探究」と「整理」。

2023年春、自身の事業コンセプトをあらためて見つめ直す機会を得たことで、「探究プロセスの個別サポート」(cf,知識の伝達やノウハウの伝授ではなく)を核にサービスの再設計を行うことにし、今現在に至っているのだが、ここに取り組めたのも、先の「整理の整理」と、付随して自身の得意不得意の自己理解とにひとしきり取り組んだことが非常に大きかった。
整理するとは、別の視点から言うと「新たな理解を生むこと」であり、また「新たな概念(全体性)を創造すること」とも言える。それは個々人の個別具体の探究的な営みを推進する上で不可欠な要素であるからだ。

…と、この手の話はどうしても言葉遣いがややこしくなりがちだ。分かりやすく1つ結論的に言えることは、生きている限り私たちはずっとカオティックであるということ。つまり、それに抗う方向性としての「整理」は、今世終えることのない、最強のエンターテインメントの1つなのである!笑

死ぬまで終わらない遊びを、また一つ見出してしまった。ずっとやってたけどね!ああ、意識って認識って頭を使うって、おもしろい!(終わり)

 

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これにて基礎領域(■人間存在を(自分なりに)理解したい)の連載は一区切り。残るは応用領域のみとなりました。ゆっくりの更新ですが、色々な方に読んで頂き感謝感謝です!

▼コラム『探究録の整理棚』、目次ページはこちら

このコラムは、私のカオスな脳内を整理してみる内的プロジェクトである。人によってはさらりと通ることのできるであろうことを、おぼつかない足取りであちこちフラフラしただけの不器用な旅路を整理し公開している。よって、何かを啓蒙するものでもないし、高尚な知識や便利なお役立ちノウハウを提供する文章でもない。けれどもし、縁あって読んでくださった方ご自身の、ごくごく内的な探究プロセスと共鳴するところがあれば、とても嬉しい^ ^

 

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