M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

8.この感覚と認識を全て引き受けるということ。

*この記事はnoteで連載中のコラム『探究録の整理棚』より転載しています。

前々回前回からの続き。

今回は、体癖論を軸にした「心と体」探究録の最終章。

2013年から始まった心のことの探究生活は、総じて充実していた。恩師・名越康文先生の元で多くの学びや出会いを得ていたし、年齢やバックグラウンドも様々な”学び仲間”の存在はとにかく有難かった。
仕事は相変わらず多忙を極めていたが、趣味の音楽活動も含めこの頃はとても活動的に動き回っており、周囲にも「今が一番楽しい!」と口にするほどすっかり快活さを取り戻し慌ただしく日々を送っていた。

が、私は1つの穴を深く深く掘り進めすぎる、モグラ的探究人。一つの穴を掘り進め満足を得ると、ついうっかり、また次なる穴を求め、未知なる可能性へと向かってしまう生き物なのである。

今回は、私が体癖論を学ぶだけでは飽き足らず、伝える側に立ち始めた2016年頃から数年ほどのお話。

■何だかよく分からないけど、これじゃない!

心のことの探究のためには、恩師の元での勉強以外にも、所謂ベーシックな心理学や心理療法関連を中心に本を読んだり、勉強会にもあちこち参加したりとウロウロ何かを模索していた。学生時代や20代前半の底辺期もそうだったように、書店や図書館やネットの海の真ん中で、「心」と括られる領域のあまりにもの広さ深さを前に何度立ち尽くしたか分からない。 - 「私の知りたい何かには、一体どこまで何をすれば、行き着くのだろう?」
周囲に心理士さん等様々な立場の友人知人も増えて行ったので、学びは必然的に深まって行ってはいたけれど、実際のところ、それら「心」という文脈で語られるものでは自分自身の問いに十分にこたえられていない、という感覚が強くあった。

とにかく指針は「心を理解するためには、体癖論探究がきっと鍵になる!」という無根拠で頼りないはずの確信だけ。
恩師から語られる色とりどりの人間エピソードを残らず知りたい、一言も取りこぼすまじと、講義ノートを取って取って、取りまくった。その小さなノートを開けば、その日の先生の講義をありありと自分なりに再現することができるほど。この時の集中感たるや、確信というより盲信&猛進、狂気の沙汰である(笑)
当然、大元の体癖研究の始祖である野口晴哉先生の本も読み漁った。これがまた非常に難解で、整体そのものを学ばねばこの世界観を真に理解することは本来できないだろうと苦悩した(晴哉先生の著書は今も読み返す度に発見がある。)し、野口裕之先生の身体教育研究所での講演会にも恐る恐る参加しては手がかりを見出せずぼんやりしてみたりもした。他にも野口整体を受け継ぐ方々がさまざまに語る文章もあれこれ読んだし、どなたかがテキストを発行していると知っては、取り寄せて読み込んだり、整体教室に参加したりもした。

このまま体癖論の知識を積み重ねれば、師と同じように自分を他者を診断し理解することができれば、そこからこの世界を生きれば、そうすれば「欲しかった何か」が手に入る。はず。目をつぶって全力疾走。必死だった。

しかし、体癖論という枠から人間の傾向性やタイプをつぶさに知っていく試みは、知り得ない他者の有相無相を覗き込む、果てしの無い、まさに終わりのない探究。何度もやっぱり、心の中でつぶやいた。- 「私の知りたい何かには、一体どこまで何をすれば、行き着くのだろう?」

 

■アウトプット前提、だからこそ。

2016年頃から少しずつ、恩師の基礎講座を持たせてもらうようになった。仕事柄もあったが、当時から人前で喋ることに関してはどちらかと言えば得意領域。面白かった。
人に伝えようとすることで深まる探究って、ある。要点を伝えるためには必然的に全体像と詳細とを掴み直すことになるし、初めて体癖論に触れる方の知的好奇心をくすぐるには?などという学び場における創意工夫の試みは私にとってとてもエキサイティングで、やってもやっても飽きないことの一つ。この時ばかりは、日々地中深くに住む探究モグラは、水を得た魚へと豹変するのかもしれない(笑)
”教えるのが1番早い”、なんてよく言うけれど、この、アウトプットをしながら自分自身の探究を深め続けた歳月は、大変さもあったけれど、私にとって本当に大きな宝となった。

2017年。なんとも無謀なことに、私はこの面白さに(沼に)ハマり、魅せられて、好きだった会社をも退職し個人事業主に転身してしまった。表向きは「キャリアコンサルタントの国家資格取得をきっかけに、まぁ何か、そっち方面で・・ゴニョゴニョ。」などと言っていたが(もちろんそれもあったし、実際に独立後現在に至るまで最も長く続いているのは大学生のキャリア支援の仕事だ)、内心は、体癖論を中心としたこの「人間理解の面白さを伝えること」自体が仕事になったら、どれだけ楽しいだろう?という、強過ぎる好奇心でいっぱいだった。

有難いことに、学び仲間やクライアントさんからのご縁が次々に繋がって、主催の体癖論講座を大阪・岡山・福岡などで開催させてもらったり、1年近い企業研修プロジェクトに参加させて頂いたり、治療家・セラピストさん向けの講座も持つようになって行った。危なっかしいスタートながらも、傍から見るととても順調だったと思う。

一方でしかし、体癖論由来の心理講座を続ける中で、私はまた根源的な苦しみにぶち当たっていた。

■自分は絶対に、間違っている。 - 正解探しという名の幻想希求

詳細は割愛するが、心理学や性格論に援用した場合の体癖論における他者診断(人の主たる”タイプ”が10のうちどれにあたるかを判断すること)は、非常に難解かつデリケートなトピックである。例えば客観数値的なスケール・指標のある類のタイプ論でもないし、一般的によくある、本人回答による主観ベースの分類でもない。(そもそも本人が無自覚だからこそ”癖"なのであって、いくら勉強し知識を増やしても、自己判断自体が多くの人にとって難しい。)

元々他者診断には自信が無かったこともあり、人様の理解をこちらが勝手に方向づけてしまわないよう、いつも細心の注意を払って言葉を選んでいたし、自分の講座では「知識や考え方は教えるけれど、診断は最終的には自分自身で行うもの」というスタンスを崩さなかった。
だが、提供する立場に立ちアウトプット量が格段に増えると同時に、少しずつ自分の感覚もアップデートされて行き、恩師や周囲の学び仲間達と自分自身の見解とにズレが生じるケースが増えて来る。私は、この扱いに随分と長い間、悩んだ。

見解のズレ。それは単に「私からはこう見える。あなたはこう考えるんですね。」「そうなんですね。以上。」…それだけのこと。
当時の私には、"両者の見解をそのまま尊重する"という至極シンプルなことが、とてもとても、難しかった。

思えば私は、恩師や学び仲間に限らず、あらゆるシーンで人との意見の相違にあまりにも過敏だった。

どこかに必ず、私の知らない正解が存在するはずだ。

私はそこに到達する能力が足りないから、こんなにも生きづらいに違いない。早く、頑張って、どこかに到達せねば・・・!

こんなふうな、強い強い、透明な思い込みがあったように思う。根本的な、自信の無さ。ある種根源的な、自己否定。ああ。

長年の心の鎧生活で身に着けた、無理をしてでも外側に自分を合わせにいく習慣のなれの果て。「人は正しい。自分は絶対に、間違っている。」つい、無意識的に、この構図にハマり込んでしまい、抜けられなかった。
恩師にも後押しを貰い、仲間にも応援されて人前に立って伝える立場にすらなっているのに、頭の中は常に「自分がどこか、間違っているんじゃないか」。自分も人も信じられない人間が、こんなことをしてしまって良いのだろうか?なんだかとんでもない悪事を働いているような、詐欺師のような気分すらあった。

だんだんと、講師業を続けながらも、体癖論を扱うこと自体がしんどくなり、恩師の学びに関しては体癖よりも仏教心理学の方に力を入れるようになって行った。
先生に教えて頂いた瞑想を毎日自分に課してさえいれば、なんだか「やってる感」があったし(馬鹿者!)、難解な古典を読んで解説を聞くと、何だか凄いことが分かった気になった(大馬鹿者!)。心の中は大嵐なのに、これでなんとか成長していけるだろうと、藁にも縋る思いだった。(※実際、仏教心理学の学びはこれだけで探究録を何本も書けるほど、大切な学びになった。信仰心が薄いためあくまで学問的にではあるが、後々の意識や人間構造の理解にも大いに助けになっている。)

体癖論で心理学なんて、やめてしまおうか…。「なんで皆、そんな分かったような顔してられるの?さっぱり分からないって、諦められるの?」そのどちらもできない自分に苛立った。「でも、まだ何か掴み切っていない。いや、でも…。。」うろ、うろ。

人は、自らの誤解に気がつくために、なんとも解き難い知恵の輪のように複雑で難解な現実を招き入れるものだ。

■到来、2度目の強制終了。

2018年1月初旬。その日私はあまりにも強烈な頭痛により、文字通り頭を抱えて近所の鍼灸院でぶっ倒れていた。Googleマップで見つけた徒歩圏内の鍼灸院に息も絶え絶え転がり込んだのだが、激痛から座ってすら居られず、ソファに横たわりながら「はじめまして…」と問診してもらったことを記憶している。

毎日毎日、”お前は間違っている”の掛け声を自らに浴びせ続けることは、心に刃を刺しながら生活していたようなもの。頭痛のみならず体はあちこちボロボロのぼろ雑巾状態。「痛い。痛すぎて、もう限界。またやってしまった、強制終了だ。。。」

整体と鍼での施術が終わると強烈な痛みはおさまっていて、なんとか普通に歩けるようにもなっていた。

「でもまぁ、同じように生活してたら、またなるからねぇ。」

痛みを一時的に鎮めること自体は簡単。でも、これは日常的な体の使い方、習慣などでなっていることだから、根本的なところからやっていかないとね。そんなことを言って下さったように思う。あまりにもストンと腑に落ちる説明と頭痛のおさまった体の感覚とに心底納得して、あぁ、きっとまたここに来るだろうなとぼんやり感じならが、気だるい体を引きずって治療院を後にした。

…これが後に、そして今も変わらず大変お世話になり懇意にさせて頂いている、「みやざき鍼・灸」の宮崎裕正先生との出会いだった。

ここが私の探究生活において、本当に大きなターニングポイントとなる。そう、”どん底”とはいつも、探究という目線をやれば即ち必ず、「転機」なのである。

■「からだ」を感じ、自分と出会い直す。

宮崎先生は、痛みを取り除く対症療法だけを目的にせず、自分で自分の「からだ」の声を聴き、自分で自分自身と付き合っていけるようになるために必要なことを丁寧に教えてくださった。

長岡氏、自分がこれ!と思えば一直線。スイッチが入ればもうそれで、穴を掘って掘って掘りまくる、モグラ的探究人のできあがり!である。笑
日々自分仕様に教わったセルフケアの実践等を通して、自分の体を深く感じ、「からだ」の発する小さな声を聴いてはあーでもないこーでもないと自分の心身と向き合う、コツコツと地味で地道な「からだ探究」の日常が始まった。

 

※参考:みやざき鍼・灸さんHPより「【「からだ」の声を聴こう!】ってどうするの?


一つ一つ取り組んで行くと、体は少しずつ、しかし確実に変わっていった。例えば長年の癖で突き出した首の歪みは徐々に取れて行ったし、外反母趾で動きづらくなった左の親指も毎日動かせば少しずつ弾力を取り戻して行った。「あぁ、体って、変わるんだな。」どこかモノのような感覚になっていた自分自身に、神経を通し直して行くような、そんな感じ。自分の体に少しずつ詳しくなって行くことが、シンプルに面白かった。

何より驚いたことは、いくら心理学を勉強しても、毎日必死に瞑想を実践しても得られなかった心の「静けさ」が、毎日のセルフケアの中で体へ細やかな意識のフォーカスを向けることによって自然と感得されたことだった。集中するには内外の静けさが必要とも言えるし、内側を意識することが結果的に静けさをもたらしたとも言える。この体験知は生きて暮らしてゆく上で、最も重要なことの一つだったと思っている。

着こんだ鎧をおろすように体が軽くなって行くと、当然気分も軽くなる。「頭痛をおさめたい…。」から始まった探究だったが、「講義中に力まないようにもなりたいな。」「もっと食事を楽しめるようになりたい!」、それから、それから・・・!次々と芋づる式に、なんだか子どものように”少し先の自分”に会いに行きたくなった。

それらは「間違った自分を矯正するため」でも、「正解に到達するため」でも、決して無かった。自分が自分でただあるという営みの中の、人間としての自然な在り様。自分自身の感じていることをそのまま感じて、湧き出る望みや好奇心の方へと動かされていく。
「からだ探究」の先にこんなに軽やかな感覚を知るなんて、想像もしていなかった。自分がそれまでどれだけ自分に鞭を打ち自ら苦しみを選択し、どこかにあるはずの”正しさ”という幻想に翻弄されていたか、私はゆっくりと理解して行った。

正解探しを、本当にやめる。

私にとってこのことは、正解なんて本当の本当にどこにも無いことを自分の心身で実感を伴って理解し、自分の感じていることをまずは尊重し答えにして行くという、自分だけの"正解づくり"の経験の蓄積をもってしか、到達できない場所だった。

・・・他にも「からだ探究」における気づきや発見は多々あり、実際には3度目の強制終了とも呼べる山谷もあったのだが、あまりにエピソードが膨大で枚挙にいとまが無いため、詳細はまたいつか、『からだ探究録』シリーズにて(?)笑。

なお、この頃には、自分がこの「探究モード」と呼べるものにさえ入ってしまえば、鎧を着ることも自罰の刀を握ることも忘れること、ただ生きるという日常を心底面白がってしまうということにも気が付き始めていた。

■主観を、引き受ける。

この、自分で感じる「からだ」つまり自分自身とつぶさに出会い直して行くプロセスの中で、私は1人ひっそりと、当時本当の本当のところ手にしたかった「心と体」ひいては「人間」の理解を、自分なりに耕して行った。

「あぁ、胸が少し開いただけで、視界がこんなに晴れやかになるな。」「ちょっと戦闘モードの時って、あ、右肩が前のめりだ。目の奥にこんなに力が入ってたんだ、気づかなかった。」「体の姿勢って、心の姿勢ってことだな。体の癖は心の癖って、そりゃそうだ。」「…というか、体とか心とか、分けることがそもそも変だよな。」・・・など、など。

そう、私は決して、体癖論”を”知りたくてこんなにも没頭してきたのでは無かった。人はつい、目の前の何かに没入し真実めいた何かを見出すと、それが”全て”であると信じ視野狭窄に陥ってしまう。自分が本当のところ「何」を探究しているのかを知るには一段高い視点が必要で、渦中はなかなか整理がつかないもの。
当時の私の探究テーマは、決して「体癖論をきちんと理解しよう」とか「体と心の関係性を科学的に理解しよう」といったことでは全く無く、やはりスタートは2013年の心の1年生の自分の疑問や関心事で、それまで20年以上持ち続けてきたこの生きづらい「自分とは何なのか」、そのためにも「人間とは何なのか」に答えたい、ということだった。そう、そうだった。

「からだ」を感じ、自分自身の感覚を感じ直すという経験をコツコツと重ね「体と心」の解像度を上げてゆく中で、私はこの愛すべき「体癖論」たる方便で語り得ることは何であって、何については語り得ないか?について、自分なりに粛々と整理と理解を重ねた。

本来、人は100人100通り。同じ人間は1人と存在しない。その体に幾つかの傾向性を敢えて見出しているのは、野口先生であり、自分自身であるということ。傾向性をそのように見出せば、そうだと言えてしまうものなのだから、究極的なところ、他者をいくら”診断”したとて、それを当人と共有することは一切、成し得ない。
野口先生の体癖も、名越先生の性格論も、どこまで行っても、どれだけ勉強し、同じことを理解したように感じられても、それは彼らの見ている彼ら各々の世界観であって、私が全く同じようにそれを見ることは実のところ1mmも、全くもって、完全に完璧に、不可能であるということ。

この、あまりにも、あまりにも、当たり前すぎる事実・・・。ああ。

私が見ている自分や他者というものは、どこまで行っても自分自身がどこかを切り取り、感じたり解釈しているものでしかなく、その主観を完全に引き受けるしか、無いんだ。

自分の認識に、責任を持つ。

果たして私は、この生きづらい半生の中で、こんなにも基本的なことを、ちゃんと、やってきただろうか?他者がそう見ている・言っているということに盲目的に寄りかかり、必死に自分自身を無くそう消そうと、してはこなかっただろうか…?
なんだか、とんでもなく自分にも周囲にも失礼な生き方をしてきてしまったような気がして愕然とした。同時に、壮大で微妙な誤解のほどけた安堵が、時間をかけて心身に馴染んでいったのだった。

気づけば、あれだけ苦手に感じていた体癖診断についても、全てのケースにおいて自分なりの見解や立場を丁寧に伝えられるようになっていた。私の作る講座は、おもしろい人間観のシェアの場として、笑いと気づきの絶えない、とても良い学び合いの場に育っていたように思う。

だからこそ。「全部、私自身の主観。」この納得とともに、体癖論という看板も、恩師の基礎講座という名前も、全て下ろそうと決めた。

2019年、延べ2,000人を越える方々に参加頂き、自分自身の探究場であり続けた体癖論の講座を、閉じた。

■心と体、人間・じぶん。

私たちは今世持って生まれたこの肉体を生きいている。別個の体を持った個人によって語られる「心」の解釈がバラバラなのは、当然のことだった。心とは実体が無く定義不能で、体という現場において起きる現象を切り取った一部分をさらに個々の体ごとに切り取って語らうのだから、当然と言えば当然すぎること。
いくら心理関連の専門書を読んでも芯を捉えきれない歯痒さがあったのは、私自身にこの観点が欠落していたからだと、私はようやく、はっきり理解した。

それ以降、何を読んでも、誰に何を教わっても、人間という心身現象のどのあたりのことを、どんな背景からどんな角度で切り取っているのかな?と、捉えようとするようになった。私自身の知の構えが、根本から質的転換を起こしたのだ。正解探しをしなくなったおかげで、どんな理論や話題や意見も、純粋に”面白さ”が増した。

誰にも頼まれてもいない自分だけの納得点を突き詰めた探究の果てに残ったのは治療家先生達とのご縁で、一般向けの体癖講座を閉じてから1年ほどは、治療家・セラピストさん限定のクローズドの場で体癖心理学という造語のもと学び場を開講していた。

体のプロたる治療家先生達との学び合いの日々は、純粋におもしろかった。とある先生(東洋医学や気功・武術、バイオメカニクスと広いバックグラウンドに深い知見を携えておられる)と共同でセミナー開催をしていた時期、私の「からだ探究」はますます加速。体癖論を中心とした知識や技術も大いに昇華され、”心と体の探究バカ”のマニアックさはこの時期、磨きに磨かれて行ったように思う(笑)

この頃には、もうあまり体癖という言葉すら使わなくて良いなと思えていた。「私からは(マニアックに探究しすぎた結果)、あなたのことがこんなふうに見えるのですが、自分ではいかがですか?」それで良い。

体の領域ももちろん、終わりの無い探究フィールド。ある時、治療家さんに交じって専門性の高い勉強会に参加しながら、ふと「あれ?ちょっとやりすぎたかも。私の知りたいことは、こっちじゃなかった。」と我に返る。2020年、一旦「からだ探究」に区切りをつけた。

出会った当初、あんなに巨大に見え、必死に追いかけていたはずの体癖論は、こうして大切な道具の一つとして「からだ」の中におさまって行ったのだった。

「自分って何なのか?」自らの問いに今あえて答えるならば、

自分とは、この感覚と認識の総体である。

…こんな結論部分だけを2013年の自分に伝えたところで「何のこっちゃ?」だ。
あまりに遠回りしたけれど、そのプロセス自体、振り返ると面白い旅だったし、そこには体癖論そして先人や恩師達・学び仲間というパズルのピース全てが必要だった。

シンプル過ぎる理解に実感を伴って辿り着くことができて、本当に良かった。

 

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▼宮崎先生と2020年に行った対談イベントの書き起こし記事です!面白いので、良ければ^ ^

 

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このコラムは、私のカオスな脳内を整理してみる内的プロジェクトである。人によってはさらりと通ることのできるであろうことを、おぼつかない足取りであちこちフラフラしただけの不器用な旅路を整理し公開している。よって、何かを啓蒙するものでもないし、高尚な知識や便利なお役立ちノウハウを提供する文章でもない。けれどもし、縁あって読んでくださった方ご自身の、ごくごく内的な探究プロセスと共鳴するところがあれば、とても嬉しい^ ^