M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

2.死…!? - 問いの始まり。

推定4歳、当時住んでいた緑色の屋根の小さな一軒家。2階の和室。夜。
天井の黄色い豆電球を眺めながら隣に母が居たということは、おそらく寝かしつけてもらっていた時のことなんだろう。

美幸氏(以下,み)「お母さん、あんな、みゆきはおっきくなったらどうなるん?何になるん?」
母「大きくなったら?そうやなぁ、大人になるねん^ ^」
み「ふーん。そうなんやぁ。じゃあ大人になった後は?何になるん?」
母「大人になった後?そうやなぁ、おばあちゃんになるねん。」
み「へぇ~。そうなんや。じゃあおばあちゃんになった後は?何になるん?????」
母「その後?そうやなぁ、、死ぬねん。」

み「・・・????????!・・・いやや、みゆき死ぬのいやや、うあぁぁぁぁぁぁああああああ(号泣)」

 

これが後に『死ぬねん事件』と呼ばれるようになる、かの有名な(嘘)他愛もない長岡家の会話の1シーンである(笑) さらに幼い頃のことだと映像記憶こそあれ、会話を伴ったものは思い出せないので、一応これが私の物心ついた頃最初の記憶。

母と私の共通の疑問は、

4歳の子が死を恐怖の対象として認識したorしていたのは、なぜ?

である。長岡家は母(いい人)、父(お調子者)、兄(マイペース)と私の4名構成(※カッコ内は私の偏った評価)で、例えばそれまでに祖父母やペットの死を体験したといったこともない。一般的に子どもが死の概念を理解し始める発達年齢はもう少し上だとされることもあり、母としてはこの時はじめて幼い娘に「死」という単語を出してみて、徐々にそれが何を意味するのかを伝えて行こうかなと思っていたのだと思う。

いまだに、この時の私の反応の理由は、よく分からない。テレビなどで何かを見聞きしていたのかもしれないし、母の「死ぬねん。」の声の響きから受け取った、母自身の持つ死についてのイメージや感覚が怖かったのかもしれない。

とにかく、生来、神経質で気難しかった私に、この日から明確に「死への恐怖」がプラスオンされることとなった。

 

生きることは、大変なことだ。
生きていると、嬉しいことや楽しいこともたくさんあるけれど、苦もやっばいくらいたくさんある。
そして、人は必ず平等に、死ぬ。

「なのにどうして、皆、怖くないの?」
「死んだら、どうなる?」
「怖くないように、私もなりたい!!」

これが私の原初的な探究テーマだ。

死とは何か?誰でもきっと一度はそのことについて考えてみては、蓋をしたり、自分なりに物語を編んだり、あきらめたりするものだろうと思う。
ところがどっこい、何せ私はとんでもなく強烈に頭でっかちの、知りたがり屋さん・理解したがりっ子(※前回記事も参照)だ。この大きな問いに対して落ち着き所を得るまで、本当に本当に、長くかかった。

今回は、問いの始まりについて書いた。次回はこの「死ぬ件」についての探究ダイジェストを綴ってみようかな?(…書けるのか?^ ^;)

 

*noteからの転載です!

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