M.nagaoka’s notes

~ Treat yourself, well ~

5.心の1年生,旅に出る。- 自分はどこか変なんじゃないか?

*この記事はnoteで連載中のコラム『探究録の整理棚』より転載しています。

今回は、心や体,意識のこと,人間について、本気で勉強しよう!と思うに至った転機のお話。

※このコラムは過去記事を元に再構成しています。

■ 怖がりは、鎧を着込んだ。

大学では教育学を専攻し、教授にも仲間にも恵まれ研究室ライフを堪能した私。先生方からは院進学を勧められたりもしたけれど、とりあえず社会なるものに出ようと民間就職の道へ。「就職するならベネッセが良い!」と猛烈な恋心からスタートさせた就活にもがき苦しみ、本命ベネッセさんはあえなく面接落ち。幸い、グループ会社の教育機関専門の広告会社から内定を貰って、キャリアをスタートさせた。

2007年〜。
広告営業という仕事柄の忙しさに怖がりな生真面目さんが真正面から挑んだ結果、いとも簡単に「過剰労働の不健康人」が出来上がった。当時の感覚を思い出すだけでギュッと体が硬くなる。かなり、無理をしていた。

会社員の立場、クライアントさんの事情、"それは言わない約束"的なやつ、混線した色んな人の色んな思惑、良かれと重ねる僅かな嘘・・

違和感を違和感として認識し過ぎると、とてもじゃないが、仕事にならない。これを飲み込むのが、受け流すことが、「オトナ」に「社会人」になることだと、私は盲信した。

そうしてどんどん、感情や感覚に蓋をして、
分厚い鎧を着込んで行った。

…当時の日常を大変よく表す「おにぎり事件🍙」なるものについて、懐かしのmixi日記より引用してみる。笑

2009年10月4日「夢遊病?」

会社から帰るとだいたい日付かわる直前で、いつも家の前のローソンで翌日の朝ごはん(おにぎり)を買って帰るんだけど…

朝起きたら、無い!!ってのが先週3回ぐらいあって。

これ、泥棒でもネズミさんでもなんでもなく、犯人は間違いなく自分でして(笑)

疲れと眠気に勝てずちゃんと布団に入らんと床に転がってうたたねすることがよくあり。よく分からんのだけどそういう時、深夜ガバッと起きて、「食べなければ!」って衝動(というより脅迫観念)にかられて、必死で目の前のおにぎりを食べてるのよ…

むしゃむしゃ…🍙

で、ふらふらベッド行って、寝る(笑)

いやこれ、全くもってお腹が減って食べてるわけじゃなく🖐️ほんと無意識というか夢遊病というか…。うわ~笑

おにぎりに限らずとにかく食べなければ!ってなるから、ひどい時はじゃがりこ一個まるまるとか、ポテチ一袋とか😭途中で残しておくことはまずなくて、食べきるのが目的らしい。

普段あんまり食べないから、
翌朝お腹が張ってめちゃ気持ち悪いー(∋_∈)

も〜意味分からん!眠りも浅いから全然疲れとれんし、肌も荒れるし良いことなし!学生時代からたまにあるけど週3はありえ〜ん!

うたたねが諸悪の根源、
うたたねの原因は疲れと体力不足、睡眠不足。
あー負のスパイラル!

って、自己管理できてなさすぎ(笑)
頭痛ウィークのながおさんでした🐻

 

いやアナタそれ、うたたねというより気絶ね✋笑

同じような時期、大学のアカペラサークルOBの集まりで久しぶりにライブに出て歌った時。あれだけ伸び伸びと出ていた声がすっかり細くなっていて、ショックだった。ライブ後にもらった写真に映る自分の痩せこけた姿に、なんだか強烈に、引いた。

「なんだこの、不幸そうな人…。」

自分からはそう見えた。とにかくここから離れなければ。仕事の面白さも得たものの有難さももちろん沢山感じながら、3年半で退職した。

2010年。
大学職員に転職したが、どうにもこうにも、肌に合わなかった。強烈な後悔の感情に苛まれ、転職前より一層落ち込んでいった。

「あれ…全然やりがいを感じない…。仕事内容も雰囲気も合わないのかも。」「まずい、前職での実績も、積み上げた人間関係も、信頼や自信…全部全部全部、失ってしまった…!」「もっと我慢すべきだった?失敗した!?でもどうすれば!?どうしよう!?!?」

この頃から、気持ちが落ち込むと、どうにか状況を打破する方法は無いかと近所の本屋さんを死んだ目で彷徨うようになっていた。(後に心理学を直接学ぶことになる先生の本にも、この時期に出会っている。)

本を読みながら、鎧の中の自分はどこかでちゃんと、気がついていた。
「あぁ、今起こっていることは、自分と向き合うことでしか前に進めないんだな。外じゃない。内側なんだ。。」

2011年。
運よくベネッセに拾ってもらって二度目の転職をした私は、もう一度苦手な営業仕事に奔走していた。会社は好きで、仲間は眩しいくらいに前向きで素敵なメンバーばかり。ここで食らいつかねばと必死に、それはもう必死に仕事をして、持ち前の不器用な器用貧乏さと努力と努力と努力と、あと努力(笑)で、営業成績もそんなに悪くなかったと思う。

とにかく死ぬ気で頑張らないと、また一度目の転職の時みたいに、どこか暗闇に落っこちる、全てを失ってしまうという恐怖でいっぱい。鎧を最大限に分厚くした私は、常に張りつめていて、常に寝不足で、余裕がなかった。ああ。

■ 到来、強制終了。

2012年。
全力で走り続け、多忙さ極まりなく。この頃から持病の頭痛の激化、謎の全身蕁麻疹、常時風邪気味、熱、倦怠感…などの不定愁訴が20代前半より著しく酷くなっていた。思えばもう十分に体からは危険信号が出ていたということ。「いつまで、こんな生活が続くんだろう…?」止まりたい、でも止まれない…。所謂アクセルとブレーキ同時に全力で踏んでいる状態、ですね。

そんな、2012年の暮れ。仕事納めの翌日だったか、休む間もなく親友に会いに栃木へ飛んだ帰り道のこと。あとはレンタカーを茨城空港に返して飛行機に乗るだけ…という時。友人を無事に自宅へ送り届けた安心感からか、年末の怒涛の全力疾走からふと緊張がほどけたのか、単純に風邪薬が効きすぎたのか。一瞬、意識が飛び。。

なんと、高速道路で大事故を起こしてしまったのだった。

車は全損。事故の瞬間、走馬燈がよぎり、景色はスローモーション。「あ、しまった、私ここで死ぬんだな・・・」と覚悟した。

…にも関わらず、何度思い返しても不思議なことに、体はむち打ちと、爪が折れた程度。複数台巻き込んでどなたかを殺してしまっていてもおかしくない事故だったはずなのに、後続車さんが見事にかわしてくれたようで、一台横からぶつかったトレーラーのお兄さんお2人は、現場検証で随分時間を取らせてしまったにも関わらず、「お姉さん大丈夫?」と、とんでもなく優しかった。

高速上の事故だったので、最寄りの駅までジャフとレンタカー会社の方が連携して連れて行ってくれた。レンタカー屋さんのお兄さんが、今度はそれはそれはもうすんごい面倒くさそうで(苦笑)、無言の車中、生き残った!みたいな喜びはほとんど無く。ひたすら体がガクガク震えて、でも頭は妙な冷静さ。「ああ、強制終了だ・・・全部、自分で引き起こしたんだ。」「どうこの人生をリカバーすれば良いのだろう。」下を向きながら、ぐるぐる、そんなことを考えていた。

その日からしばらく、異様な精神状況が続くことになる。
事故そのものがどうというより、死の淵まで行ったことで「生きることそのものへの恐怖」が、フタをあけて噴出してしまった感じ。じっとしていると「なぜ死ななかったのか?」「どう生きるのか?」の問いが来続け、発狂しそうだった。何かにすがるように、その半年ほど前から少しずつ手に取り始めていた心理学系の本などを貪るように読み込んで、年末年始をなんとかかんとか、やり過ごした。

2013年。
年があけて仕事が始まると、異様な心の状態はさらに悪化。仕事はじめ、いつもの明るく、凛とした営業会議。会社には出社したものの、頭の中は「どう生きればいいのか?」「なぜあそこで死ななかったのか?」だらけ。頭なのか足元なのか、ぐるんぐるん。会議が始まった途端、、、なんと、周りの先輩方の発言が全く頭に入って来なかった。声は聞こえているのに、一体何を話しているのかが全く理解できない。…焦った。
じっと座ってもおられず何度も何度もトイレに行っては必死で呼吸をして、涙をふきふき。。していたことを、おぼろげに覚えている。
しばらくすると、顏の右半分が動きづらくなり、営業中、移動の電車内(※しばし車に乗れなくなった)で、担当していた滋賀の穏やかな景色を見ながら、意味も分からずボロボロ泣いたりしていた。うつ状態だったと思います。(※こうまでなる前にちゃんと休まないとダメですからねー!)

3月、先輩のすすめで、ようやく自宅近くの心療内科へ。これが後々考えると、転機に。(※行ってみ、と言ってくださった先輩Tさんは、一連のしんどい時期にずっと同じチームで、大丈夫だよ~長岡~、といつも通りに仕事の指導を続けてくださったし、色んな話しをした。一生頭が上がらない!命の恩人デス^^)

心療内科に行くまで、相当な葛藤があった(実際行くまでに2か月以上かかっている)。私の心は普通ではないのかもしれない、何か病気だと言われたらどうしよう、そうだよほらだって小さい頃からおかしかった、いやでももう限界だ…いやいやでもまだ大丈夫かも仕事だってできた…、みたいな逡巡の末、すがるような思いで受診。

教えて先生、「わたしはどこか、変なんじゃ?」

すると。

どうにも、見るからに不機嫌そ~~~~な女性の先生が…現れたのです…。長岡サン、心は鈍っても、勘は良いほう。一抹の不安。
事故の経緯や、感情や、なんやかんやとつとつと説明している間も、とても不機嫌そうでしかめっ面の先生。

そして、話を聞き終えた彼女から想像だにしなかった言葉が。


「まぁ、事故、無事でよかったじゃない。」

「あなたの話を聞く限り、たいしたことじゃないようだけど。仕事にだって行けてるんでしょ?」

「(眉をひそめて)何が問題なのかしら?安定剤としてお薬持っておいたら?」


……?


…え…?


・・・え、えええぇーーーーーーーーー!!!?(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)涙


…驚きすぎて、疑問符の顔でしか反応できなかった。な、な、なんかこういう展開って、こういう時って、お医者さんは優しく話を聞いてくれてさ、場合によっちゃ寄り添って肯定してくれて…じゃないの?違うの!?そ、そうか、そうなのか…街のお医者さんは…私を救ってはくれぬのか…。え、そうなのか!?云々云々。(※注:もちろん全ての心療内科がこんなわけありませんからね!笑)

表現し難い感情が悶々ふつふつとお腹から湧き上がり、「…お薬いりません!」と吐き捨て、隣のモスバーガーでしばし沈黙。

そこで、ふと、思ったんです。

「そうか…。よく分からないけど、これは人に頼ってどうこうできることじゃないのか。」

「自分でどうにかせねば。そうか、どうにかしよう。」

「こんな苦しいまま生きていくのは、もう無理!!」

 

・・・今思えば、事故での強制終了からの、強制自己治療開始に至った、運命とやらが用意してくれた(ちょっと手荒いけれど)有難い死と再生の物語だったと前向きに解釈しています(笑)。だいぶ、しんどかったけれど!笑。

 

 ー 【救われたい。】

心のことを学ぼうと思うに至った動機は、切実に、そんなことでした。人様のためでは全くなく、自分自身のために。
(他者に)救われたい、と思っている限りは救われもせず、「自分で自分を立たせてやれる」と全てを引き受けた時ようやく、「救うも、救われるも、実は無いんだ」と気がつくのだけれど、それはもっともっと、後の話。(もちろん、適切に他者のサポートを頼りましょうね^ ^)

「2013年、心の1年生。」 そう、ひっそりつぶやいたことを、よく覚えている。

あれから10年以上経って思うことは、「知りたがり」の私は、こうまでして自分をこじらせ、事態を複雑にしてでも、自分で知って学んで、このややこしい自分を扱い切ってみたかったんだな、ということ。

この転機により明確にスイッチの入った私は、生きづらい自分をどうにかしてやるために、「自分はどこか、変なんじゃないか?」の問いに答えてやるために、壮大な探究の旅を始めたのだった。

 

 

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