阪神大震災から25年。
当時10歳、小学校4年生でした。
翌日が確かリコーダーのテストだったのですが、3学期まるまる休校になったのでテストも何も。
地元は六甲山の裏側なので
神戸や西宮中心地ほど大きな被害はなかったのですけど、やっぱり阪神の震災は「自分事」ですねー。
そして原点。
ほんの少しの小さな偶然が重なって、
たまたま、死ななかった。
(直前に、たまたま母がタンスを移動させてて下敷きにならなかったとか、
その日はなんとなく違う部屋で寝たから、ガラスを浴びず済んだとか。)
それだけ。
そのことに深い意味は本来なくて、
ただ死ななかった。だけ。
そのことを「なぜ?」と25年、問い続けてきたような気がするけど
これ毎年、違う感覚を覚えるんですよね^ ^
それ自体が「生きる」ことなのかも。
あ、今のこの感覚って、初めてのやつだな、
「生きてるって、おもしろいなぁー👀」
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いのちのこと、
まわりの人と「話す」といいですよ^ ^
対話を重ねて、人は豊かさを増してゆくから。
お母さんとの今朝のLINEやりとり、
「お父さんはもう地震あっても揺れ感じなくて、ええなぁ🤣」
お母さん、元気に長生きしてや!^ ^
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↓ アーカイブ映像。
こういうの有り難いですね!
(見すぎると気が滅入るかもなので、過敏体質仲間な皆さんはほどほどに〜!)
www.asahi.co.jp
今住んでる夙川エリアの映像をたーくさん見た。
西宮で、生きよー^ ^
それだけで既に、幸せだ!
