M.nagaoka’s notes

~ よく生き、よく歌う ~

学生との対話 / わたしは何者か?

youtu.be

 

昨日今日は、大学の講師業^ ^
なんだかんだ、
独立後ゆるゆると(たまにがっつり)続けて
3年半くらいかぁ👀です。

学生を前にしていると、
いつもとてもとても背筋が伸びるんですよねー。
彼らは鏡のようだし、スポンジのよう。

そして時に

「わたしは誰?」の叫びと共に
「あなたは誰なの??」を無言で聴いてくる(気がする)。

例えば「問題解決能力」や「思考力」に関する講座でも、
「社会で求められているから、身に付けましょう」の
定型文を使ってしまえば、
こちらも、受け手(学生)も
気だるい予定調和に安寧することができる。

摩擦も無く
思考も介さず。らくちん。

で、私はそれ、身震いするほど嫌い(笑)


合理的で、生産的で、役に立つ人間になれ。
むちゃくちゃ雑に言うと
「たくさんお金を稼げる人になりましょう」
みたいな文脈に、
無意識的にこちら側がハマっていないか?
(無意識にね。)

それはお金が汚いどうこうっていう意味では全くなくって、
いきいきと自分らしく生きるとは
人間として、生命として、どういうことか?
本当に豊かさを循環するって、どういうことなのか?

という側からの思考を、完全に奪ってしまってはいないか?

それは、
「とはいえ」
「仕方ない」
のモードを携える我々大人の側から
学生達に、そこはかとなく伝わって、

んで、うつる(笑)


彼らも私たちも、ほんとのことは何かって、
分かってるんだと思うのよなぁ^^
一期一会、どの学生達とも正面から
内側のほんとうの部分で響き合いたいよな~

など!


…などなど思いながら、
私自身の学生時代を振り返ると

自我の問題、つまり

「私は何者か?」に
それはもう見事に苦しみ抜きましたねぇ😂

多かれ少なかれ多くの人がそうであるように、
学校の相対的序列感の中で
どんどん「優等生」的アイデンティティが形作られる毎日。

たまたま学ぶことが好きで
たまたまそれらにおいて器用で
たまたまそれが面白くて

でもどこかでそれを、
「こうでなければならない」
「期待に応えなければならない」
に転換してしまった。


いやーー、苦しかった!!!(笑)

条件付けの「わたし」
(ex,成績が良いわたし、しっかり者のわたし…)
は、強まれば強まるほどに、
おおもとの「ただの”じぶん”」が
覆い隠されるような感覚。


これらを運ぶ大きな歯車のようなもの、
自分を形づくるパターンみたいなものって、
めちゃくちゃ!
自分の世界観に影響がでっかいのですよね~。

それ自体は何の悪者でもないのだが。

唯一、そんな私に当時もその後も
光をさし続けてくれたことは、
「音楽をする人」
「歌う人」
「表現者である」
というアイデンティティでしたねー^ ^

アートにヒエラルキーってほんとは無いから。
絶対的でしかないですらね、
この感覚があったから、
なんとか、この世界に居続けることができたのよなぁ、
など^^

こういった全体性を俯瞰できだしてからは
同時に今の「じぶん」の感覚を随分と
深められるようにもなりましたねー^ ^


今日は、学生との対話から、
「わたしは何者か?」
という自我の問題、
自分の昔の感覚も思い出したりしました(^^)/