M.nagaoka’s notes

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1つの箱に押し込めない - 若手と向き合う時に意識していること


1つの箱に押し込めない - 若手と向き合う時に意識していること【声ブログ】(6:15)

▲この記事元のおしゃべり「声ブログ」✨音声版の方が濃いです(笑)

 

国家資格キャリアコンサルタント、という資格名で、大学のお仕事にはあたっている。キャリアっていうと

・キャリアアップ
・大きくしていく
・スーパーマン的拡大路線

…みたいなイメージが私の偏った言葉のイメージではどうしてもあって
なのであまり普段はそう名乗らない。

学生に向き合う際は、あの頃の自分自身が言ってほしかったであろう言葉をかけられるようにと、できるだけ努めていて。(今だから言葉を与えてあげられるけど)私自身、学生時代に社会へ出る際、そのキャリアの持つ”響き”みたいなものが、とてもしんどかった。

ザ・就活!というと
大きな優良企業に正社員内定!
だったり
キャリアアップ!となると
昇進や転職で給与アップ!
会社を踏み台にしてでも自分が大きくなる!
などなど。

そういう”右肩上がり”が暗黙の了解になっている。

学生自身もそうなっていることが多いし、

とりまく大人たち(親や我々学校関係者や…)の多くが無意識の前提に気がつかないか、なぜかキャリア支援という文脈に乗せると、悪気なくその前提を是として強固に提示してしまう。

(まっすぐそれを良しとできる子も一定数いる。そういう子は就活ではそんなに悩まない^^)

それはまるで、「社会に適合していく」という1つの箱
自分がどんどん押し込められていくような。

社会に合わせなさい、
そうしないと落ちていく。

これがこと私にとっては就活時も20代でも、
とてもとてもしんどかった。

若い世代と向き合うコツみたいなものを
もし聞かれたとするなら、

向き合う私達の方の枠組みをデカく持つこと。
まずそれに尽きるんじゃないかなぁと思う。

生きていく、ということ、キャリアじゃなくてライフ(いのち、人生…)の話をしたいときに「社会」って、実は小さすぎる。

社会という真四角の箱があるとして
そちらへ向かって若手を

矯正していく
指導して直す

…こんなの、私がされたら嫌だ。


もちろん、社会と調和的であることは
素晴らしきこと。

でも「社会」より、「生活」の方が大きい。

「世界」や「宇宙」などの箱を意識してみるのもいい。
自分が「生きていく」という時の枠組みの淵をあらためて感じ直してみると、選択肢が無限にあることに気がついていられる。

生きていく、という感覚の中で
集団でお金を稼ぐことに自分を押し込めること
会社の在り方を全てとすること
なんて、生き物としてかなり無理がある。

わざわざある一部分を強調しすぎていると
考えることだってできる。

成長してもいい、
しなくてもいい。

社会と適合することも素晴らしい
しない在り方もよきこと。

どちらもあり。

こうして耳で聞いたり文章で書くと当たり前のことに思えるかもしれない。
でも、こと学生や若手と向き合う時に、私達大人側が、なにか1つの枠組みを「全」「善」とし、そこに押し込めることをしていないだろうか?

これらを分かった上で、
今メジャーな方法と調和的にありながら
とにかく一度就職をしてみたり
速く大きく・右肩上がりなスーパーマンを目指してみる、
という経験は、素晴らしきこと。そして逆も然り。

***

少なくとも、狭いフィールドであれ
学生たちの学びの現場で一緒に過ごしてきた実感として、
彼らの喜びは「右肩上がりの成長」というより、「”開く”」ことの実感の方にあるように思う。

彼らが自由に気楽に開けるように、
こちらが大きな枠組みの構えでいること。
それはつまり私達自身が、沢山の可能性に開いていること。

…参考になったら嬉しいです!

***

こんな感じの、キャリア教育の現場バナシをつめこんだ対談イベントを講師仲間の友人と企画しました!

www.m-nagaoka.net

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ぜひどうぞ!✨

 

 

 

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