SNS時代なんて随分前から言われているし、
それは既に私達の「日常」になった。
それは、”国民総発信者”になったとも言えるし、
”国民総コメンテーター”時代とも言える。
でも、コメンテーターとして、いくら「正しいこと」をSNSで流したり(もっと言うと誰かや何かを批判していても ※意訳)、言ってるあなたが「結果」を残していないと、つまり信頼に足る人間でないと、世界は何も変わらないよ。
何を言うか(どんなアイデアか)じゃない、
信頼にたる「誰」が言うかだ、とも言える。
・・・
というのが、私的まとめ。
(詳細は聴いてね!)
これを聴いていてですね、
ああ、ここで言っている「世界」っていうのが、
どこか外にある誰かの世界
この街でもこの日本でもない
他所にある知らない「世界」
と感じながら受け取ってしまったら、
「それ、私は変える必要がないし」
「別に世界平和とかじゃないし」
「有名人になりたいとかじゃないし」
などなど、一切、自分と関係のないものになってしまうなーと思ったんですよね。
かく言う私自身が、数年前ならそう受け取った気がする。
*
これは、自分自身が「どこ」に立って
この世界を生きているか?ということ。
だれか特別な人がクリエイトした世界の一部を私たちが生きているのではなく、
1人1人が全く異なる世界を生きている。
1人の身体に、1つの世界。
外で同じ出来事が起きても、内的な世界は100人100通りだから。
何を言いたいかと言うと結局、まとめに書いたように、
どこかにある知らない世界を変えるのではなくて、「自分自身そのものを扱っていく」ということ。
外に向けて批判的になる時、つまり心が動いている時、
「私自身は”何”を求めているのか?」
「どんな感情を体験したいのか?」
「その先に見たい景色は何か?」
に、自覚的でいること。
そして、その求める世界に生きるために
「じゃあ、どうする?」。
それが、世界を変える、ということじゃないかな。