
クライアント・塾生さん等からの質問、どう答える?を綴ってみるシリーズ^ ^。今回は、
Q.「成長」と「足るを知る」、どちらが大事?
です(*質問BOXはコチラ📫)。
事業オーナーやリーダー、表現者や作り手の立場の場合、自分の在り方や生き様がアウトプットと肉薄していますから、自分自身がより成長すべきポイントか・むしろ手を放すべきかを見極めるべきタイミングってありますよね。
この問いへの回答としては超絶にシンプルで、
両方大事。
です笑。
当然すぎて素っ気なさをも感じる4文字回答ですが、成長したい/すべき時は成長すれば良いし、足るを知るべきときはそうすれば良い。正直、それだけ。このシンプルさに迷う人(迷っちゃう時)に必要なことは、自分に対する精確な「認識」の方です。
順番に書いてみます^ ^
1. なぜこの二つを「対立」させてしまうのか
働き方や生き方を語る際の一つに、「成長至上主義か、そうでないか」という切り口は確かにありますね。一般的には、「成長」という言葉は「変化・拡張」を、「足るを知る」は「現状維持」というイメージがつきやすいため、個人の在り方として「伸びて攻めるか、現状維持で守るか」という対立軸で思考しやすい側面もあるかもしれないですね。
ですが、「言葉から派生するイメージ」の方よりも、まずは「語彙そのもの」を芯から掴むことを私からは強くオススメします(塾内でも語彙調べ、よくやります📚)。
必要性を見極めず突き進む「成長」は「暴走」や「迷走」、なんなら「苦行」ですし、自分の可能性を閉ざし、無理くり「足るを知る」ことは単なる「諦め」であって、言葉本来の意味とは最早かけ離れてしまっています。
また、成長という言葉は「まだ足りない」という前提を含みやすく、一方で「足るを知る」は「すでに満ちている」という前提に立つ言葉。人がこの二つを対立させてしまうのは、世界を「不足から見るか」「充足から見るか」という前提が違うから、とも言えそうです。
2. 「足るを知る」を捉え直す
「足るを知る」とは、読んで字の如く「何がどんなふうに満ち足りているか知ること」。それ以上でもそれ以下でもありません。文脈上、「欲張るなよ」と言いたい時に使われやすい言葉ではありますが、決して「現状に満足して止まれ・一切変化するな」という意味ではないのです。
足るを知ろうとする時(※これ自体とっても良い内観ワークですね!)、自分の現在地や持ち札、器のサイズ等を正確に測ることになります。
人は、事業課題が山積みの時、他者や世界との関わり方に思い悩む時など、視野が狭く近視眼的になればなるほど、自分の現在地を見失い、「自分には能力が/才能が/知識が/経験が…、何かが欠落しているのではないか」と、「足る」より「不足」に意識が偏り、今ここに既に「ある」豊かさが目に入らなくなります。逆に、自分を正確に観察し、冷静に現状を認識しようとすればするほど、「足るを知る」ことにもなる。そう思うと、足るを知るとは、「静的な停止」ではなく「動的な把握」だと言えそうです。
課題山積で向かう先を見失いそうになる時ほど、自分を明らかに見て、足るを知り、現状を寿いでいたいものです。そうすることで結果的に、自分にとって「何が必要で、何が不要か」を分けて理解することができるというものですし、その時同時に、成長すべき方向もまた明確になるのです。
3. 「成長」を捉え直す
「成長」とは、単に「育って大きくなること」ですね。もう少し言葉を補うならば、「器を広げる、あるいは中身を磨くこと」。言葉の意味としては、それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、「成長」とは、子どもが成長する、植物が成長する、社会人として成長する、人として成長する、など、非常に多くの文脈において”歓迎”されやすい概念だという特徴があると思うんですね。で、こういう言葉は往々にして、"反動"もまた起きやすい。
過ぎたるは及ばざるがごとしで、あまりに成長をよしとし過ぎる文化のことを「成長至上主義」などと表現しますが、強迫観念的に成長を希求せず、足るを知りバランスを取ろうとすることはとても健全な考え方だと私も思います。人は簡単に手段と目的とを逆転させてしまいますから、過度な我慢や変化の強要の色合いを含んだ、あまり健全でない「成長」を自分に強いようとしている時は、方便として積極的に「足るを知る」べき時かもしれません。
健全に、自身の現在地や向かいたい未来を明らかに見るほどに、何を注ぎ・どう磨くべきかという「成長への、次の一手」は自然と見えてくるもの。成長は、追うものでもありますが、どちらかというと結果的に起きることとも言えますから、盲目的に「成長信者」になっていないか、事業主や表現者の立場の人はぜひ積極的にバランスチェックを入れていきたいものですね。
4. 結論:二つとも大事。
ここまで言葉本来の意味に立ち返ると、【「足る」を知るほど、迷いなく「成長」もできる】のだという理解にたどり着くのではないでしょうか。
また、足るを知り現在地を寿ぐことは、決して成長を諦めることではなく、むしろ「どこにリソースを投下すべきか」という事業や活動上の判断を可能にします。
つまり、「足るを知る」は成長と対立するどころか、成長の出発点そのものなのです。
質問への回答、いかがだったでしょうか。最後に私からも問いのギフトです。
Q.もし今、あなたの手にしているリソースが『完全で、過不足ないもの』だとしたら、次に何を願いますか?
自らを明らめ、事業や活動のために真っ直ぐ「成長が必要だな。成長したい!」と願うならば、私たちはもう、迷いなく未来の自分へと駆け出してしまっているのだと思います。(おわり)
*このコラムは、ここ数年の自分自身の「飽和感」「頭打ち感」を脱したいがために、好みのスタイル(個の問いに答える)に終始するでもなく、かと言ってハウツー的に道具化するでもなく、「一つの問いに応答し、語る」ことに挑戦しようと綴り始めたコラムです。お読みになって理解に苦しむ部分やご指摘などありましたら、ぜひコメントをお寄せください^ ^