M.nagaoka’s notes

~ よく生き、よく歌う ~

名越心理学はじめ - ②心の1年生

前回、名越先生の著書との出会いについて振り返っておりました~(*'▽')

www.m-nagaoka.net

 

今回は、名越先生の元で心の勉強をしよう、と思うに至った、私のひどく頼りなかった時期の心の様子をレポートしています。
「会社」という社会の中で自分の存在意義が分からず、人前ではニコニコ笑って、心の中は絶望感でいっぱい・・。そんな私に「強制終了」がやってきたお話です。(しんどくなる人いるかも。あと無駄に長くなった。長岡個人に関心無い方はこの頁読まなくてOKです。笑)

---

20代後半の私は、とっても、とんでもなく、とにかく、苦しかったです。
物心ついたときから生きづらさはいつも普通に傍にあったので、その意味では当時が特別というわけではなかったのですが、それでも社会人(というか会社人)になってからは、何もかもが過剰で、必死で、外側の自分と内側の自分がすっかり乖離しているような感じでした。当然尖っていたし、不安定で、どこかイライラしていました。人に依存していたし、音楽も既に再スタートし出していたけど、それもどこか苦しかった。うっすら被害者意識すらあった気がします。
当時の心の窒息状態を思い出すと、今も我が事ながら胸が詰まって吐きそうなる。。最近あまり思い出さなくなっているので、備忘録的に順を追って書いておこうかな。

--- 

2011年
運よくベネッセに拾ってもらって二度目の転職をした私は、営業なんて向いてないのに、営業経験を理由に転職したので、もう一度苦手な営業のお仕事に奔走していました。会社自体は好きで、仲間は眩しいくらいに前向きですごい方ばかり。
ここで食らいつかねばと必死に、それはもう必死に仕事をして、持ち前の器用さと努力と努力と努力と、あと努力(笑)で、営業成績とかはそんなに悪くなかったと思います。
人間関係も、持ち前の器用さと努力と努力と…以下略。笑
(実際、ベネッセ大阪支社はとても素敵な人、尊敬する方ばかりだった。自分と比べてしまってしんどくなることも多々あったけど、やっぱり人の素晴らしさには本当に救われた。過ごしたのは後の営業企画時代含めて5年だけだけど、今も心のふるさと!)

とにかく、何が何でも仕事を死ぬ気で頑張らないと、また一度目の転職の時みたいに、どこか暗闇に落っこちる、全てを失ってしまうという恐怖でいっぱいでした。常に張りつめてて、常に寝不足で、余裕がなかった。(あぁ、書いてて息が詰まる。。)
---

2012年
全力で走り続け、多忙さ極まりなく。この頃から持病の頭痛の激化、謎の全身蕁麻疹、常時風邪気味、熱、倦怠感…などの不定愁訴が20代前半より著しくひどくなってきてました。思えばこの頃、もう十分に体さんからは危険信号が出ていたんだと思います。
止まりたい、でも止まれない…。アクセルとブレーキ、同時に全力で踏んでいる状態、ですね。

そんな2012年の暮れ。
仕事納めの翌日だったか、休む間もなく親友に会いに栃木へ飛んだその帰り道でした。あとはレンタカーを茨城空港に返して飛行機に乗るだけ…というところ。友人を無事に自宅へ送り届けた安心感からか、年末の怒涛の全力疾走からふと緊張がほどけたのか、単純に風邪薬が効きすぎたのか。一瞬、意識が飛び。。なんと、高速道路で大事故を起こしてしまいました。

f:id:mnagaoka:20181125181244j:plain

車は全損。
事故の瞬間、走馬燈がよぎり、景色はスローモーション。あ、しまった、私ここで死ぬんだな・・・と覚悟した、にも関わらず、体はむち打ちと、爪が折れた程度(何度思い返しても不思議)。複数台巻き込んでどなたかを殺してしまっていてもおかしくない事故だったはずなのに、後続車さんが見事にかわしてくれたようで、一台ぶつかったトレーラーのお兄さんお2人は、現場検証で随分時間を取らせてしまったにも関わらず、「お姉さん大丈夫?」と、もうとんでもなく優しくて。。。(もっときちんと、お詫びだけでなく御礼をお伝えできたら良かった…。)

高速上の事故だったので、最寄りの駅までジャフとレンタカー会社の方が連携して連れていってくださったのですが、レンタカー屋さんのお兄さんが、今度はそれはそれはもうすんごい面倒くさそうで(そりゃそうだ)、無言の車中、生き残った!みたいな喜びはほとんど無く、ひたすら体がガクガク震えて、でも頭は妙な冷静さ。「ああ、強制終了だ・・・全部、自分で引き起こしたんだ。」「どうこの人生をリカバーすれば良いのだろう。」みたいなことを、じっと下を向きながら、考えていました。

---

その日からしばらく、異様な精神状況が続くことになります。
事故が怖かったとか、そういうのじゃないんですよね。。。「生きることそのものへの恐怖」が、フタをあけて噴出してしまった感じ。
家にいると「なぜ死ななかったのか?」「どう生きるのか?」の問いが来続け、じっとしていると発狂しそうだったので・・・・そうだ、と手に取ったのは、やはり名越先生の書籍「心がフッと軽くなる瞬間の心理学」(前記事「名越心理学はじめ①出会い」参照)。あぁ、やはりここには何かがある…。
そして、もっと何か読みたい…とすがるように、当時半年ほど購読を続けていた先生のメルマガ(夜間飛行より2011年~月に2回発行)を、創刊号からバックナンバー30本、一気に購読し、年末年始は貪るように読み込みました(笑)。

2013年
年があけて仕事がはじまると、異様な心の状態はさらに悪化。仕事はじめ初日、いつもの明るく、凛とした営業会議。でも、頭の中は「どう生きればいいのか?」「なぜあそこで死ななかったのか」だらけ。頭なのか足元なのか、ぐるんぐるん。
会議が始まった途端、、、なんと、周りの先輩方の発言が全く頭に入って来ない。声は聞こえているのに、一体何を話しているのかが全く理解できない。焦りました。じっと座ってもおられず何度も何度もトイレに行って必死で呼吸をして、涙をふきふき。。していたことをおぼろげに覚えています。
しばらくすると、顏の右半分が動きづらくなり、営業中、移動の電車内(※しばし車に乗れなくなった)で、滋賀の穏やかな景色を見ながら意味も分からずボロボロ泣いたりしてました。うつ状態だったと思います。(なのに一度もお仕事休まなかったんですよね…。あほです。いや、ナイス根性!)


2013年3月、会社の先輩のすすめで、ようやく自宅近くの心療内科へ。これが後々考えると、転機に。
(※行ってみ、と言ってくださった先輩Tさんは、一連のしんどい時期にずっと同じチームで、大丈夫だよ~長岡~って言って普通に仕事の指導を続けてくださいました。色んな話をしました。一生頭が上がらない!命の恩人デス^^)
心療内科に行くまで、実は相当な葛藤がありました(実際行くまでに2か月以上かかっている)。私の心は普通ではないのかもしれない、何か病気だと言われたらどうしよう、そういや小さい頃から何か変だった、いやでももう限界だ…いやまだ大丈夫かも今日も仕事できた…みたいな逡巡の末、やっぱりアップダウンが激しくて、すがるような思いで受診。

すると…、なんと見るからに不機嫌そ~~~~!な女性の先生が…現れたのです…。長岡氏、心は鈍っても、勘は良いほう。一抹の不安。
事故の経緯や、感情や、なんやかんやとつとつと説明している間も、とても不機嫌そうでしかめっ面の先生(…あんたが一番治療必要だよ!と今なら笑って言えるぞ)。
そして聞き終えた彼女から、想像だにしなかった言葉が。


「事故、無事でよかったじゃない。」
「あなたの話を聞く限り、たいしたことじゃないようだけど。仕事にだって行けてるんでしょ?」
(眉をひそめて)何が問題なのかしら?安定剤としてお薬持っておいたら?」


……?


…え…?


・・・え、えええぇーーーーーーーーー!!!?(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)涙


…びっくりしました。なんかこういう展開って、こういう時って、お医者さんは優しく話を聞いてくれて、場合によっちゃ寄り添って肯定してくれて…じゃないの?違うの?そうか、そうなのか…街のお医者さんは…私を救ってはくれぬのか…え、そうなのか?云々(※注:もちろん全ての心療内科がこんな感じではありませんよー笑)。
怒りなのか、よくわからない感情が悶々ふつふつとお腹から湧いてきて、お薬いりません!と吐き捨てて、しばし隣のモスバーガーで沈黙。そこで、ふと、思ったんです。

「そうか…。よく分からんが、これは人に頼ってどうこうできることじゃないのか。」

「自分でどうにかせねば。そうか、どうにかしよう。」

「こんな苦しいまま生きていくのは、もう無理!」


今思えば、事故での強制終了からの、強制自己治療開始に至った、運命が用意してくれた(ちょっと手荒いけど)素晴らしい死と再生の物語だったと、超前向きに解釈しています(*ノωノ)笑。だいぶしんどかったけどな!笑。まぁ、それも自分が招いたこと^^

 ー  【救われたい。】

心理学を学ぼう、名越先生の言っていることをもっと知ってみようと思うに至った動機は、切実に、そんなことでした。大変恥ずかしながら、人様のために、とかじゃなかった。
本来的には、(他人に)救われたい、と思っている限りは救われもせず、「自分で自分を立たせてやれる」と、自分の人生に責任を取り始めたときようやく「救うも、救われるも、実は無いんだ」と気づくのですが、それはもっともっと後の話。そしていまだに私は人の心について大して何もわかっちゃいないのですが(笑)随分明るく軽くなったのは確か。

とにかく、この底辺期よりも前に、名越先生の本やメルマガに出会えていて本当に良かった。そうじゃなかったら、何もスタートできていなかったと思う。一度目のどん底期の私、本に出会わせておいてくれてありがとう!
 

「2013年、心の1年生。」そう、ひっそりつぶやいていたことを覚えています。あの事故からまだ6年、もう6年。

もうすぐ「心の6年生」が終わるんだな~^^