宮崎先生との対談イベント、つどい場・心カフェ♪「宮崎先生に”からだの話”聞いてみよう!」、書き起こし連載第2回!
*第1回 - 体、身体、「からだ」の使い分け
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第2回は…
”「からだ」を感じる”を、育む。
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宮崎先生(以下、宮)「うん。そうですね。ここで大事なのは、単に体操をやりましたっていうより、長岡さんがやってくれたのは、自分で感じながら体操をやってくれた、ってことなんですよね。」
長岡(以下、長)「ああ!そう、自分の”「からだ」”の声を聴けるようになった!」
宮「うん、うん。」
(※今回はここから)
長「その、、、変な話、他人事だったんですよ、正直。誰かこの頭痛、治してくれ~~!!みたいな(笑)」
宮「あははは(笑)」
長「皆さんは、ありません!?こういう時!?『どこから来てんこの頭痛!何でなん!?どっか行ってくれ、この頭痛!ぽーい!ってしたい!』みたいな(笑)」
宮「笑」
長「でも、『あれ…!?これ、私の頭痛だったんだな』って(笑) 例えば姿勢とか、動き方の癖とか…。これ、どこかからやってきた頭痛、じゃなくて、『私が起こしている、私の頭痛』なんだなって…笑。」
宮「一個ずつね。色んなものが絡まってましたけど。どう言ったら良いんかな。姿勢もそうやし、緊張もそうやし、目の使い方もそうやし…。まぁ言ったら、そう言うのが全部、頭痛になだれ込んでいったって言うんかな。」
長「うんうん。」
宮「それに、患者さん本人が気づいて行くように、僕はして行きたいなって。」
長「はい。セルフケア的な体操も、先生に言われた通りの”動作”をしてると言うよりは、なんかこう…例えば『あ、首をこっちに動かすと、ざーって何か中で流れた感じがする』『こっちをこうすると、、確かに、気持ち良いかも…』って、感じる。これがそのままですけど、”「からだ」を感じる”っていうことかなと。自分の”「からだ」”の方から、どんな声がしているのか、っていうのを…むしろ今までこんなに無視してきたのね?ごめん、、、って言う(笑)」
宮「あははは(笑)」
長「あ、ここ、少し聞いてもいいですか?」
宮「はい。」
長「宮崎先生のHPとかも見てると、”「からだ」の声を聴こう”って大きいテーマじゃないですか。先生がこれだけ言うというか、テーマとして掲げるということは、逆説的に言うと、”「からだ」の声が聴けない”人が多いっていうことだったりするんですか?」
宮「・・・んーーー。」
長「そういうことでは無い?」
宮「まあ・・・そうやね。そういうことやね。何て言うんやろう。この図で言うと、なんせ感じている”「からだ」”やから、”「からだ」”に居て当たり前なんですよね。自分の、”「からだ」”。」
*言葉の使い分けの説明は前記事参照。
宮「でも、日々の生活の忙しさとかに追われて、一般論の”体”の方の『当たり前』に、居着いてしまうんですよね。」
長「あぁ。」
宮「そうすると、”体”の側の見方で見てて、”「からだ」”の側が置いてきぼりになるって言うんかな。」
長「一般論・頭痛、になって、自分の”感じ”が無くなる…っていう感じ?」
宮「そうそうそう。そう言うことですよね。だから、僕が一番言いたいのは、そこですね。一般論の方に居着いてしまった意識を、こっち側(=自分の生々しく感じる”「からだ」”)の方に戻してきたら解決すること、いっぱいあるんじゃない?って言うことを、提案したいわけですね。それが多分、僕の鍼灸院で一番やりたいことですね。」
長「ああー。」
宮「あ、今はじめて言語化された!(にっこり)。」
長「そんな感じがしました(笑) 大丈夫です、ちゃんと録音してあるんで!(にやり)。」
宮「あはは(笑)」
長「そんな感じですね、意識を向ける方向、みたいな。会場の方、伝わってますか?大丈夫です?」
宮「なんか、質問あったら。」
長「そうですね、質問コーナー行きましょう。こんな感じで、日々先生と”「からだ」”を感じるってどういうことか、色んなお喋りをしているんですけど、今の話を聞きながらでも構いませんし、もう少し一般的なことでも。何か先生に質問してみたいこと、ありますか?」
会場の方(以下、会)「いいですか。そしたら、治療っていうのは、僕らは、まぁ真ん中の”体”から病気を治していきますよね。医者に行ったり、整体だったら揉んでもらったり、電気通したり。で、宮崎先生の所に行ったら、治療もされるんでしょうけど、意識改革的なことがメインになるということでしょうか?」
宮「”意識改革”という表現をすることは、まぁ僕の中では引っかかりがあるけど、一旦、さきほどの話を意識改革とするならば、それをメインでやりたいな、っていうのが僕の希望ですね。」
会「あぁ。」
宮「でも、準備ができてない人っているんですよね。それぐらい、”体”の側に皆囚われてるから。なんていうんかな、なかなか”からだ”側に戻って来られないんですよね。だからそういう時は、まぁまず一段階踏んで、僕がこういう感じでアプローチができひんかな?っていう感じのやり方を、色々、やってみる。それは、その人その人を見ながら、考えながら、やっていきますね。」
会「はい。」
宮「必ずしも、”「からだ」”を扱うことや、そのやり取りだけをメインにやっているわけではないです。ただ、僕としてはそれをやっているのが一番楽しい。個人的に(笑)」
会「なるほど(笑)」
宮「だから僕としては絶えず、そちら側に誘導しようとしてるわけですね(笑)」
長「笑。宮崎先生のところ、ベッドが2つあってですね、たまに入れ替わりの患者さんとのお話が聞こえてきますけど、先生とのやり取り、患者さんによって全然違うんだな、違うサイクル・ぐるぐるを回しているんだな(*)、というのは感じますね。」
*宮崎先生の「ぐるぐる」に関するお話はこちら→宮崎先生×長岡、プレ対談。

宮「うん、まあそれはそうですね。」
長「一般的にはと言うか、いち患者感覚としては、この右上の『施術』をしてもらいに行くイメージがあるかなと思うんですね。さきほどの電気を流す、なんかもここに入りますよね。先生の道具としては鍼・お灸・整体の3つだと思うんですけど、この『施術』だけを治療院の中でやっているというよりは、問診から始まって、たぶん、問診の中で、先ほどのその患者さんの段階みたいなものを見てらっしゃるんじゃないかなと思うんですよね。意識という言葉を使うなら、この患者さんはどんな意識で今日ここに来ておられるだろう、みたいな。それで、このぐるぐるを回しているから、単発の施術だけ、という印象はみやざき鍼・灸さんでは少ない感じかもしれません。」
宮「うん。まあ単発の施術でもそれなりには効いてるし、簡単な症状だったら、その日1回の施術で痛みが取れてしまったりももちろんするしね。それ自体はどこの鍼灸師さんでもやってることは一緒かなと。ただ、僕がやりたいのは、そういうのではなくて、なんて言うんかな、あくまでもそれは一つの手段であって、長岡さんが書いてくれているこの図の、ぐるぐるまわる循環を、自分で見つけて欲しいなって思ってるんですよね。」
長「うん。」
宮「例えば、頭痛の話でいくと、問診で色々きいてもらうと、『自分の頭痛ってこんなもんだ!』って分かるじゃないですか。で、施術で緩めてもらうと、『あ、ここでこうすると楽になるねんな』っていうことが、分かる。それで、家に帰ってまた痛くなった時に、施術された時のことと、セルフケアや養生指導を受けたことが頭の中に蘇ってきて、やってみて自分でそれができたら、『あ、やってみたら、緩んだな』ということが分かるわけですよね。」
会「うん。」
宮「で、次に来てもらった時に、それを報告してもらうと、『じゃあもうちょっとこうした方が良いんじゃない?』とか、アドバイスができるわけですよね。で、また施術を受けてもらって、って、ぐるぐるぐるぐる回していると、こう…良い方に良い方に、行きやすくなるんですよね。」
長「あー。」
宮「で、1回そういう渦に乗ると、自分で『こうしたら楽やな』とか、自分の感覚で、こういう方向に行けば良いんだっていうことが、自分の”からだ”、自分の”感じ”で納得してるから、自然に進むわけです。だからそういう回転が起こるように、僕はやりたいなぁって。施術っていうのは、あくまでその回転のための一つの手段なんですよね。で、もし僕の施術が回転を邪魔するなと思ったら、僕はそれをやらない。あえて、やらない。だから問診やって、体操教えて、はい、じゃおうち帰ってやってみてね。っていうこともある。」
長「鍼刺されないこと、あります。」
宮「うん。なんせ、ぐるぐるを自分で回せるようになって欲しいなっていうのが、僕の一番、やりたいことですね。」
会「あぁ。」
長「たぶん、ご質問の”意識改革”というのは、結果的に伴ってくるものというか、含まれている、っていう感覚が個人的にはあります。先生が目的にされているというより、必然的にそこに入ってくるみたいな。」
宮「まあそんな感じはありますよね。」
長「うん。」
宮「僕がそれよりもよく思うのは、毎日の生活の中で、どんな生活を送りたいのかとか、どんな価値観を持ってどんな暮らしをしたいとか、そういう日々の願いがあるわけですよね。で、それをするために、じゃあ”「からだ」”と相談して行こうよ、っていうことだと思うんですよね。だから、意識改革というよりは、自分の中の希望とか、そういうものと相談しながら、『あ、こうやったらできるね』っていう道を探すことやと思うんですよね。だからこう、意識改革って言っちゃうと、外からやってくるもの、変えなあかん、みたいな、そういう感じのことじゃなくって、自分の中にある『ああしたい』『こうしたい』を大切に育てて行こうよ、みたいな感じに近いかな?と僕なんかは思いますね。」
長「育ててもらってるわー(笑)」
宮「いや、育てるのは自分ですよ!(笑)」
長「もちろんです、見守ってもらいながら、自力を育んでるって言うんですかね。私の感覚では。」
宮「うん、まあそういうことやね。それをあくまで、僕らはお手伝いする。」
長「はい。えっと、会場には患者仲間もおりますが(笑) 見守ってもらってる目線があるって、良いですよね。」
会「そうですね。私は医療関係の仕事なんですが、西洋医学一辺倒でやってきて、患者さんにはこちらが提供するばっかりで、患者さんは完全に受け身で。ここに来るまでに何か、患者さん自身にできることがあるんじゃないかな?と思いながら仕事を続けてきて。それで、東洋医学にも興味があったので、宮崎先生のところに通いだしたんですけど、最初に診て頂いた時に、『治すのは僕じゃないよ、あなた自身だよ』と言って頂いて。本当にそうだなと。だから、先生はコーチで、私は選手、みたいな感じで、今通っています(笑)」
宮「ありがとうございます(笑)」
長「お稽古事(笑)」
会「あ、私も質問いいですか?セルフケアっていうのは、皆各自あって、それぞれ、やってらっしゃるんですか?」
宮「セルフケアっていう言葉が使いやすいから使ってるんですけど、色んなものを含んでるんですよね。長岡さんの場合は体操なんですけど、例えばそうやね、ごはんを食べた時に、一番最初にちゃんと味わってみようよ、とか、そういうのも入ってます。言ってる感じ、伝わりますかね?」
会「あぁ。」
宮「このぐるぐるを起こすためには、感じないとあかんわけですよね。だからなおざりに、いっぱい体操をやれば良いかって言うとそんなことはなくって、ちゃんと感じて欲しいわけですね。」
会「はい。」
宮「自分があまり気が乗らないことを頑張ってやっても、たぶん感じれないやろうなと思っていて、じゃあまずそういう人は、自分で感じれる所から始めようと。ごはんの一口目だけでも良いから、どんな味がしたのかちゃんと感じよう、みたいなことも、セルフケアの中には入っています。」
長「人によって違う感じ。」
宮「これは別にメニューがあるわけじゃなくって、その人を見ながら、この人ならこうした方が良いかな?って、その場で考えてます。」
長「この人がおうちに帰って、これを感じれたら、よりこの人のぐるぐるが回るし、自力が育まれていくかな?っていうことを、都度ご提案頂く感じですね。あ、先生、じゃあこれ、”養生”っていう言葉の方が良いんですかね?」
宮「あ、そうやね。東洋医学的には養生っていうことやね。」
長「なるほど。」
会「…セルフケアをやってみても、うまく回らなかったなという人も、いますか?」
宮「うーん、まあ、たいがいは、回ってるんですよ。」
会「あぁ。」
宮「全然、回ってないってことはあんまりなくて、問題は、自分でそれに気づけているかどうかですね、たいがい。たいがい、何かやれば、何か変わってるんですよね。」
会「あー。」
宮「だからまずは、それに気づいてあげるようにしよう、ってことですね。自分で気づいてなくても、ここに来てもらったら『ほら、変わってるじゃん』って、見せてあげられることが多いわけです。それを繰り返していくと、だんだんだんだん、自分の”「からだ」”に詳しくなって来るんですよね。」
会「ありがとうございました。」
会「…すみません、私も質問です。あの、東洋医学って何ですか?」
宮「あぁ、あのね、ぶっちゃけ言うと、いい加減な言葉です。西洋医学じゃないもの、みたいな使い方をしてる人が多いですね。インドのアーユルヴェーダとか、中国の中医学みたいなやつを東洋医学に入れてる人もいるやろうし、、そういう風に、ごちゃまぜ。not西洋医学、みたいな感じで扱われてることが多いですね。」
会「ふんふん。」
宮「ただ僕は、どっちかって言うと、僕の感覚では、”「からだ」”⇔”体”を扱うのが、東洋医学。これは僕個人的な感覚です。だから、”身体”⇔”体”の側でうまく扱えないものを扱うのが、東洋医学だよっていう風に捉えています。だから、方法的なことで言うと、例えば一見すると西洋医学的な、聴診器で心臓の音を聞く、っていうのは、僕にとっては東洋医学的な方法ですね。"「からだ」"で感じて、相手の”「からだ」”を解釈する。そういう風に僕は思っています。で、反対に、鍼をする、という方法の中でも、そこにナントカ神経が通ってるから、そこに鍼を刺したら痛みが取れる!っていう発想でやってるのは、西洋医学的やな、と思っています。僕の発想で切るとね。」
長「なるほど。宮崎先生の考える、東洋医学。では、あえて一般論的な具体例をあげると、何かイメージしやすいものってありますか?」
宮「そうですね、イメージしやすいのは、漢方薬を使うことかな。漢方薬を使う時に、中国の思想を背景にした、薬の選び方をすること。そういう感じですね。陰陽五行論とかね。現代人の目から見ると占いみたいに見える部分もあるかもしれないです。そういう所にうまく馴染めない人は嫌かもしれないですよね。」
長「ありがとうございます。他に何か、先生に聞いてみたいこと、ありません?」
会「先ほどの、感じる、というお話。例えばごはんの味を…ってことですけど、自分のことを思うと、つい悪いことというか、『またこんなことをしてしまった』とか、『だからまた疲れてきたな』とか、そんなことを感じてるなと思ったんですよね。そうすると、そこをまず変えていかないといけない、ということですか?」
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